物語学の森 Blog版 今井源衛『人物叢書 紫式部』は新装版で読むべきこと。
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今井源衛『人物叢書 紫式部』は新装版で読むべきこと。
2020-07-27 Mon 07:55
 服藤早苗・高松百香『藤原道長を創った女たち-<望月の世>を読み直す』(明石書店、2020年)を読んでいたところ、気になる記述があった。

 「式部はすくなくとも、長和二年(1013)五月頃までは、公卿と皇太后宮彰子の取次役を務めていたことが、藤原実資の日記『小右記』(長和二年五月二十五日条)の記事からわかっている。しかし、三年後の長和五年(1016)四月二十九日、父為時が三井寺で出家した時には、式部はすでになくなっていたらしい。  151-152頁」

 参考文献の筆頭に、

今井源衛『紫式部』吉川弘文館、1985年

 とあるのだが、上記の見解は1960年の初版で、今井先生はこの見解を以下のように撤回している。

 長和二年秋に宮廷を出たことの動機を、道長・実資・紫式部という三者の人間関係に結びつけたことについては、私も今は基本的に誤りがないと思っているが、少なくとも岡説に従った長和三年春式部死去説は撤回の要がある。そのことを含めて、以上、再び、紫式部の晩年に関する『小右記』の記事について、くわしく述べてみたのである。288-289頁」
「晩年の紫式部再考」『今井源衛著作集』(第三巻・紫式部の生涯、笠間書院、2003年、初出1982年)。
 
 ※岡説は岡一男『源氏物語の基礎的研究』(東京堂、1954年、137頁)

 この見解を踏まえての新装版である。旧版の見解を、参考文献で新装版にすることを改めなくてはならない。なお、『小右記』には寛仁三年五月にも「女房」が登場するが、これは角田文衛・萩谷・今井諸先生も『大日本古記録』本が未完結の段階でもあることから、結果的に見落としていたことになる。また、今井氏の言う、「女房」の記事の見えない長和から寛仁の五年間については、久下裕利先生に具平親王皇女隆姫家出仕を論じた論文があり、これ以降、さらに『小右記』に見える女房を再検討したのは、上原「紫式部の生涯-『紫式部日記』『紫式部集』との関わりにおいて」『紫式部日記・集の新世界』に、詳述したので参照願いたい。

 また、編者・服藤早苗『人物叢書 藤原彰子』(吉川弘文館、2019年にも気になる記述がひとつ。

第7章「菊合と倫子七十賀」の昭和61年の『仮名日記』の出現から、これが陽明文庫藏歌合証本のツレであることを「虫食い」の跡から実証し、あわせてこれが伊勢大輔の手になる『仮名日記』と推定したのが、(久保木哲夫「上東門院菊合序とその性格」、萩谷朴『平安朝歌合大成』三)とあるところ(164頁、282頁の『歌合大成』は旧版である)。これは萩谷朴「上東門院菊合の研究-十巻本『歌合』巻五所収本の書誌・語釈」(「古代文化」49巻5号、1988年5月)説を受けて、久保木説(『講座平安文学論究』(風間書房、1988年10月)が書かれたので、プライオリティが逆である。このことについては、朧谷寿『藤原彰子』(ミネルバ書房、2018年、241頁)が正確な引用である。この前年の1987年11月、新潟大学で行われた中古文学会秋季大会で「書誌二題」として、為家本『土佐日記』と『菊合-仮名日記』について、萩谷先生が報告した時、司会は久保木先生だったと記憶する。

 なお、『平安朝歌合大成』の赤堤居私家版(1956-1969年)と同朋舎の復刻(1979年)、さらに『増補新訂平安朝歌合大成』(同朋舎、1995年)とがあるので注意を要する。時に(同朋舎、1959年)のようなクレジットを見かけるのでご注意を。

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