物語学の森 Blog版 定家本『源氏物語』「若紫」巻の確定断片情報から分かること
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定家本『源氏物語』「若紫」巻の確定断片情報から分かること
2020-03-20 Fri 08:45

 池田亀鑑「日本古典全書 源氏物語」若紫巻、朝日新聞社、1946年12 月初版。

 戦後に刊行され、昭和50年代後半まで大学教科書の定番であった。池田亀鑑没後は石田譲二が改訂を加え、朝日文庫の広告まで出たが未刊に終わる。底本は大島本のはずだが、初版では「湖月抄」等の流布本で校訂されている。結局、新大系と岩波文庫新版が、新出定家本と大島本の孤立本文「人なくて」「仏」に一致していたことになる。旧全集は「人なくて」「持仏」。完訳「日もいとながきに」「持仏」。『新編全集』、石田の『集成』、玉上『評釈』、角川文庫』も同じ本文校訂を踏襲。また、山岸旧大系・岩波文庫(書陵部藏三条西家本)、二箇所とも全書に同じ本文。 
 以上は、大島本の孤立例とされてきた本文と定家本が一致するという、定家本『源氏物語』「若紫」巻の断片情報から分かることである。ただし、吉田幸一旧蔵・聖徳大学川並記念図書館現蔵の伏見天皇本は「人なくて」「ちふ川(持仏 )」と孤立例と流布本の混淆する本文である。くわえて、旧全集では初音巻を陽明文庫本に差し替えるも、この本文は江戸期版本を書写したものであり、青表紙原本の復原という校訂指針からかけ離れる結果となった。それだけに新出定家本の出現は、本文研究史の事件なのである。

 以下は、『古典文学の常識を疑う』(勉誠出版、2017)年に「『源氏物語』校訂本文はどこまで平安時代に遡及し得るか」に掲載した図ふたつであるが、「若紫」「柏木」巻は、いずれも宮河印のない後筆の巻である。これらの巻も、大島本が、青表紙諸本中、定家本に最も親近性を有するようである(いうまでもなく、「柏木」巻には明融臨模本がある)。ただし、定家本、明融本、大島本だけが同一の脱文を有する「柏木」巻と、親近性はありながら、定家本のみの独自本文、脱文を有する「若紫」巻があり、定家本にも複数のバージョンがあって、そのひとつが大島本の書本であったということになる。すでに影印も刊行となった今、近々、定家本と大島本のその異同も明らかとなるだろう。

柏木 
新編全集305-13
さすがに限らぬ命のほどにて、行く末遠き人は、かへりて事の乱れあり、世の人に譏らるるやうあり▽ぬべきことになん、なほ憚りぬべき」▽などのたまはせて、大殿の君に、(朱雀院)「かくなむ進みのたまふを、いまは限りのさまならば、片時のほどにても、その助けあるべきさまにてとなむ思ひたまふる」
新大系016-09
 さすがに限らぬ命のほどにて、行く末とをき人は、かへりて事の乱れあり、世の人に譏らるるやうあり▼▼ぬべき」なんどのたまはせて、おとどの君に、かくなんすすみのたまうを、いまは限りのさまならば、片時のほどにてもその助けあるべきさまにてとなん思給ふる」との給へば、「日ごろもかくなんの

註10 「世間の人に非難される事態がきっとあるにちがいなかろう。底本「ありぬへきなんと」、定家本、明融本「ありぬへきなと」、他の青表紙本、河内本、別本は多く、「ありぬへき事になん猶かゝりぬへきなと」(伏見天皇本)とある。底本・定家本・明融本は目移りによって欠文が生じたか」

1238-14横山・陽明・三条西・吉川・蓬左文庫
―ありぬへきことになんなをはゝかりぬへきなと
榊原、天理
―ありぬへきこと 〈に〉 なんはゝかりぬへきなと
肖柏・正徹・証本・大正大学
―ありぬへきことになむなをはゝかりぬへきなむと
正徹
―有ぬへきことになむ猶はゝかりぬへきとなん


大島本成立過程
『源氏物語』諸本系統図
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