物語学の森 Blog版 寛仁三年八月、狼藉者が弘徽殿に闖入した話。
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寛仁三年八月、狼藉者が弘徽殿に闖入した話。
2019-12-28 Sat 07:01
寛仁三年(1019)八月十一日条 《抜刀者宮中に入りし事》

夜に入り宰相(資平)来りて云はく『抜刀者宮中に入り、弘徽殿邊りで搦得すと云々、母后(彰子)御坐の殿也。驚きて随身を差して案内せしむ。帰り来りて云はく『事已に実有り』者(といへり)。仍て宰相(資平)同車参入し〈着直衣〉、先に太后御方に参る。宰相を以て女房に触れしめ、小時参入すべき由有り、仍て簾下に候ひて、女房に令旨を伝へ、『暫し摂政宿所に参り候へ』と。即ち謁奉り、命じて云はく『昨今堅固に物忌せよ』。而して藏人依り來りて告ぐ、『午時過ぎて参入し、已に終り許也。件の事の発りは、博奕者西京に争論し、法師抜刀して敵男に突き、其男弟、法師を追ひ、法師は朔平門に逃走し、弘徽殿南瀧口邊之間に到り、佐渡守有孝宮侍所に候ひ、抜刀法師を補留し、刀を奪ひ取り、法師を追ひたる男、同じく搦め捕り、皆検非遣使に給ひ、獄所に候はしむ』者(といへり)
 
 博奕を打つ者たちが西京で争論となり、法師が抜刀して敵男に突きつけたところ、其男が法師を追って朔平門に逃走し、弘徽殿南瀧口のあたりまで闖入した。そこには佐渡守有孝宮が侍所にいたので、抜刀の法師を補留して、刀を奪い取り、法師を追っていた男も同じく搦め捕り、これを検非遣使に送致して獄所に入れたと言う話。資平(33)から報告を受けた実資(62)は、急ぎ参内して女房と簾下で接触し、太皇太后宮・彰子(31)に摂政・頼通(27)の宿所に避難するよう指示し、また後一条天皇の意向を受けるかたちで堅固に物忌みとするよう指示している。この女房は紫式部が否かは来春刊の論文「紫式部の生涯」参照のこと。
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