物語学の森 Blog版 折口信夫・萩谷朴『日本文化』第73冊、日本文化協会
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折口信夫・萩谷朴『日本文化』第73冊、日本文化協会
2019-12-05 Thu 06:54


以前紹介した架蔵本。折口信夫と萩谷先生唯一の共著である。日本文化協会の話は、萩谷先生からよく伺ったし、書き遺してもおられるが、折口の話はほとんどなさらなかった。唯一お聞きしたことは学問的な評価の話だけ。この共著のことも、『萩谷朴 人と教育』(赤堤会(1990年)「著作目録」では、「F」区分=随筆であるが、今日の業績区分の基準に照らすと「共著」である。若い人のプロフィールでやたら共著の多い人を見かけるが、この場合、背表紙もしくは奧付に名前がある場合がそれにあたり、一執筆者の場合は、単独論文か、その他であるが、これは御覧の通り。著者は二名のみである。
 先日頂いた『精選 折口信夫Ⅵ』(慶應義塾大学出版会、2019年)の長谷川政春さん作成の「略年譜」を見ていたら、若くして亡くなった母に替って折口を物心両面で支援していた叔母・えうが、明治27年(1984)、「東京湯島の済生学舎に遊学」していたことを知った。同じ時、萩谷先生の母・清江(すみえ)もこの医学専門学校に在学中であるし、ともに大坂出身の稀少な女子学生であるから、ここにも繋がりが認められる。話題の持田叙子『折口信夫 秘恋の道』(慶應義塾大学出版会、2018年)第三章「内なる女性の魂・えい叔母」には、東京に医学を志して遊学した「えう」とその済生学舎出身の女医のことが書かれているが、なお、これはまだ新たな事実が出てくるような気がする。
 「えう」は中退して医師免許を持っていないが、萩谷清江は明治30年3月、無事後期試験に合格し、大坂緒方病院に採用されている。持田さんの本によっても『日本女医史』(復刻日本女性史叢書, 第 23 巻、クレス出版)を参照しつつ、明治27年、大阪緒方病院(緒方正清)が初めて女医を採用したことに言及されている。『日本女医史』によると、この時、採用されたのは福井繁子と判明、後、幣原節、小野安、村上琴、… 萩谷清江と相次いで採用されたことがわかる。
 人的なネットワークをとりわけ重視した萩谷先生であるから、母と折口の母代わりの「えう」との関係、さらに日本文化協会、日本文学報國会と繋がってきたようである。これに戦争を跨いで紫式部学会において折口信夫と池田亀鑑は深い厚誼を結ぶことになるから、このふたりの泰斗が出会う端緒に、この冊子が位置づけられることになるような気がする。なお後考を待ちたい。

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