物語学の森 Blog版 宰相の君・藤原豊子典侍の昇任時期を考える。
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宰相の君・藤原豊子典侍の昇任時期を考える。
2019-11-14 Thu 06:08
 二日間だけだが、わたしくにとっては重大事、初のレクチャーコンサートツァー中。その合間に、「紫式部の生涯」擱筆目前。困った文献の処理に頭を使う。
 
 寛仁二年(1018)十月十六日、従三位藤原威子は中宮となる。ここに従事した典侍は、修理と藤原豊子である。「この世をば」の和歌は、この祝宴で詠まれたものである(『小右記』)。

『御堂関白記』 寛仁二年十月十六日条
 此暁、内御乳母修理・宰相典侍参入。修理展侍御理髮、宰相典侍奉仕陪膳。送物。各銀小筥一双、入薫香、付銀枝、火取加銀篭、各地蒔螺鈿、蒔絵細櫃入女装束〈不縫在裹〉、永絹各十五疋、退出入車。

『御堂関白記全註釈』 
●修理 修理亮藤原親明女基子か。 萩谷朴『紫式部日記全注釈』上卷(角川書店、昭和四十六年)参照。  

●藤原道網女豊子。「藤原豊子。歴五年、典侍五年、寛仁元年正月叙従四位上、同年同月任典侍」(「大日本史料」本年正月十日条所収の菊亭文書)。この二人の典侍は、天皇から威子方の手助けに遣されたもの。威子の理髮を奉仕し、宰相典侍は御膳の陪膳を奉仕した。続く「送物」は彼女達の御礼。

 ところが、翌寛仁三年(1019)八月二十八日、敦良親王(後の後朱雀天皇、当時十一歳)の元服に際して、蔵人頭左中弁藤原経通を以て、右大臣・藤原実資より、後一条天皇に奉呈された、七名の「乳母名簿」によると、豊子は「従四位下」。降格していることになる。

広橋本『東宮御元服部類記』巻十五 所引『行成卿記』
正四位下 ①藤原豊子 御乳母 典侍         (宰相の君)
正五位下 ②藤原嫙子 宣旨
従五位上 ③源陟子  御乳母 大宮宣旨        (源伊陟(これただ)娘)
     ④源隆子  御乳母 中務
     ⑤藤原能子 御乳母 式部         (藤少将の命婦/少将の君)
     ⑥源香子  御乳母 式部         (源式部/源重文娘)
従五位下 ⑦藤原明子 御乳母 弁          (弁の乳母/藤原説孝/ 母・藤原兼正娘、政兼母)
 
 これを以て七名は叙位を得ているから、いずれかの文書が誤りと言うことになる。しかも、寛弘五年(1008)秋の敦成親王生誕儀礼でも宰相の君は、すでに典侍として掌侍の紫式部より上位にあることは『紫式部日記』の記述に明らかである。「藤原豊子。歴五年、典侍五年、寛仁元年正月叙従四位上、同年同月任典侍」(「大日本史料」本年正月十日条所収「菊亭文書」)は、叙爵の官職が後年の記事と矛盾し、「典侍五年」の後の「任典侍」もまた矛盾する。あるいは「権典侍」であったところの昇任か、威子専属の「典侍」任命か。史料性に疑問符がつくので、このまま論を進めることとする。

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