物語学の森 Blog版 高松宮好仁女宮の幕府の処遇と年収
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高松宮好仁女宮の幕府の処遇と年収
2019-10-22 Tue 07:02
 高松宮女二宮に関する文献は以下の通り。将軍家から500石を保証されていたことが分かる。500石取りの収入は年貢米で250石。江戸時代を通じて1石=1両250石=250両。1両=20万円換算で、250両=5,000万円となる。また、米価換算すると、1石=150kg、250石37,500kg。現在の米価、10kg4000円、37500kg=1500万円となる。その中間値で仮に二宮の年収を3,000万円としておく。年収3,000万円は、現在の国家公務員トップの事務次官に相当する。

『上越市史』別編5 第五章・松平光長家。第二節・大名家

424 光長卿 従三位右近衛権中将 越後守

    小名 仙千代
 母 大相国秀忠公第四姫君勝子
 簾中松平長門守秀就 従四位上左少将長
門周防守    

女子   亀子高松弾正尹二品好仁親王御息所
   母同光長卿
○元和元年丁巳四月五日、越前北庄之城ニ生 蟇目小栗備前守役之
○寛永元年甲子二月、鶴姫を伴て北庄を発、江府ニ到、直ニ於営中養育
○寛永七年庚午十一月、為(平出)秀忠公御養女、江府西丸より発駕、道中板倉内膳正重昌老中、嶋田弾正(利正)正忠従、光長卿より老臣岡嶋壱岐をして守護せしむ、京師二条城エ到着後、高松親王之館エ入輿 於洛外化粧田七百石之地を賜○二女を生第一明宮 後西院帝之中宮延宝八年庚申七月七日薨、年四十八、法号吉祥院殿○第二二宮と称す。承応二年癸巳(1653)宝珠院殿を伴て越州高田へニ帰居、天和元年光長卿、松山ニ往来後、将軍家之命ニ因て同年七月廿七日高田を発、八月五日江府ニ到、高田邸に住す、将軍家より年々五百石を賜、一生婚せずして元禄十三年庚辰(1700)九月五日高田邸ニ逝去、西窪天徳寺ニ葬、法号高琳院殿松誉瑩月清大禅定尼
○寛永十五年戊寅六月三日、好仁親王薨後、落飾して宝珠院と号す
○承応二年癸巳(1653)冬、二宮を伴て越州高田ニ帰居、(平出)将軍より米五百石を賜、光長卿より二千石を贈、好仁親王薨、嗣子なきニ因て、後水尾帝之帝皇子花町宮を継しめ玉ひ明宮を以配偶せしむ、明暦元年乙未花町宮即位、故ニ明宮中宮ニ立て、皇子降誕たり、幸仁親王と称す、後西院をして再びひ高松宮家を相続せしめ玉ふ、是を有栖川之宮と称す
○延宝九年辛酉(1680)正月十七日、越州高田ニ薨、年六十五、同所長恩寺ニ葬、法号宝珠院光誉寥廓冲意大禅定尼
                    (東京港区松平康家所蔵)


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