物語学の森 Blog版 「御拝領物類」の「権現様以来御拝領物 並御手跡」は公儀召上、他は高松宮二宮へ。
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「御拝領物類」の「権現様以来御拝領物 並御手跡」は公儀召上、他は高松宮二宮へ。
2019-10-17 Thu 08:08
 大石学『近世公文書論 公文書システムの形成と発展』岩田書院、2008年に、以下のようにある。

光長の同母妹亀子(宝珠院)と高松宮好仁親王との間に生まれた女子二宮で、光長の姪にあたる人物である。史料の「御拝領物類」は、このとき二宮に譲られた諸道具の内、格別に由緒のある三八点の道具を書き上げた覚書である。 261頁

 「権現様以来御拝領物 並御手跡」は公儀召上とあるが、「御手跡」は権現家康のものと読めるから、冒頭の権現様から一白様(松平忠直)が手ずから拝領した茶道具「初花」や「権現様御筆短冊 御掛物一幅」を除き、「若紫」「野分」の定家本『源氏物語』二巻、二条為明筆『金葉集』、冷泉為和筆『伊勢物語』の典籍は高松宮女二宮が継承したことになる。二宮は、未婚だったようで、生年も名前も現時点では不明。1700年で薨去しているから、公儀に再び召し上げられ、再分配されて黒田継高に渡った可能性も残されるであろう。

「御拝領物類」

都合三拾八稜

今度 越後中将様(松平光長)御進退被召上候節、御領越後高田ニ有之諸道具 公儀江被召上候外、遠江守(伊達宗利)・出羽守(松平綱近)方より両家来指遣之可為請取之旨被 仰渡候、於彼地御目付付蒔田八郎左衛門殿(定成)・中坊長衛兵殿(秀時)・御勘定頭高木善左衛門殿(守養)御吟味帳面ニ御渡候内 (平出)権現様以来御拝領物 並御手跡者 公儀江差上之、 其外 宮様江進之可申哉と被相伺候へとも、右之品々茂御構無之旨大久保加賀守殿(忠朝)被仰渡候間、諸道具不残 宮様へ被致進上之、併、右三十八ケ条之分ハ、各別之御道具被存、各迄如比別紙帳面相渡様ニ被申付候、以上
                  伊達遠江守内
                    神尾外記
    天和元年辛酉十二月日       印判
                     書判
                  松平出羽守内                       
                    柳田四郎兵衛
                     印判
                     書判
高松様之二宮様御内
     西尾様    
     奥津一郎左衛門殿
右之御道具酉ノ十二月相渡筈之所、月廻御双方取込之節故相断、翌年戌三月晦日・四月一日両日相渡候、然とも御帳面日付ニハ右之通記之
                  松平出羽守様より
                    岡野市座右衛門
                    雚部九右衛門
                    御歩行目付壱人
                  此方
                    萩原源太左衛門  
                    松木角左衛門
                    脇田源右衛門
右之人数牛込御屋敷持参相渡、但、覚右衛門儀ハ御刀脇指此方当分御預之内為修理預居候候故、直ニ為相渡候事
                 (愛媛県宇和島市伊達文化保存会所蔵)
                    

○高松宮好仁(1603~1638年)後陽成天皇第七皇子、母・近衛前久
○亀姫(高松宮寧子)(1617~1681年)。亀姫とも(松平寧子) 松平忠直娘。徳川秀忠養女。寛永7年(1630年)、好仁の妃となり、二王女を産む。好仁親王薨去後、落飾して宝珠院と号す。越後で薨ず。
○高松宮明子女王(1631?~1680年7月8日)後西天皇女御。八条宮長仁親王の母。
○高松宮二宮(1938以前~1700年)高琳院殿松誉瑩月清大禅定尼


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