物語学の森 Blog版 定家本「若紫」巻の傳來史
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定家本「若紫」巻の傳來史
2019-10-11 Fri 14:17
 8日以来の定家本「若紫」巻に関する、tweetの有力情報、とりあえずのまとめ。-DK氏KNM氏-貴重な情報ありがとうございます。なお、下記3情報の定家本「若紫」巻が同一の本としての傳來であるか否かは、現時点では一切不明。為念。

○天理図書館蔵・平賢兼・藤原護道等筆正徹校合本『源氏物語』54帖・30冊(913.36/イ147) 
※『天理図書館稀書目録和漢書之部 第3』には藤原護道(359-360頁)、久保木秀夫「冷泉為相本、嘉吉文安年間における出現─伝一条兼良筆桐壺巻断簡、及び正徹本の検討から」(『源氏物語の始発 桐壺巻論集』)-源護道(544頁)
第四冊 若紫 
此一巻以定家卿奥端(入)共御自筆青表紙御証本仮名文字/等不違之書写校合畢。仍朱書分者冷泉宗清(為広)入道御/奥書 御自筆御判 本令校合書加之者也 元亀三(1572) 三 五
右以『原中最秘鈔』『加(河)海』『千鳥』『類字源語抄』殊宗碩講釈聞書/等令読合之引歌漢語以下書加而巳/元亀四年暦(1573)五月廿三日 大庭加賀前司入道宗分(花押)
這一帖『河海抄』『花鳥余情』『一葉抄』之諸説集以写加之仍至此度/遂三校之功者也/于時天正八年(1580)庚辰三月五日 任弄斎宗分五十八歳書之(花押)
『弄花鈔』説書入之亦一校畢/天正拾壬午歳(1582)暮春中二 分子

平賢兼は、大内、毛利家の家臣の大庭宗分のこと。定家本「若紫」巻は校合本で、元亀三年(1572)三月とある。
朱を入れたのは冷泉宗清入道(冷泉為広)。将軍足利義澄失脚に際して剃髪。

○高田藩主・松平光長の所有目録「御拝領物類」(1681年)。「上越市史」別編5、473頁。定家本は「若紫」「野分」と二帖所有していたことがわかる。松平光長は家康の曾孫だが、越後騒動で失脚。目録はその時作成されたもの。「若紫」巻は「広国院(光長妻室)様御遺物之由」「野分」巻は「豊後より来る無極由」と但し書き。広国院は、毛利秀就(元就の曾孫)の長女・土佐。1631年に婚姻し、1男2女を産む。(松平綱賢、国姫、稲姫)1677年 死去。(享年61)。墓は、上越市林泉寺。定家本「若紫」巻は毛利家伝来の本であったことになる。

○三河吉田藩(現在の愛知県豊橋市)藩主を務めた大河内松平家「所蔵品目録」によれば、1743年、福岡藩主・黒田継高(官兵衛)から老中・松平信祝に「200両(2000万円)の価値がある」とする鑑定書とともにこの巻を譲り受けた。継高は能楽を好み、桜田上屋敷に能舞台を持ち、将軍老中を招くほど古典に通じる文人であった。
追記 
○菅原郁子『源氏物語の伝来と享受の研究』(武蔵野書院、20016年)に「第三章 大内家・毛利家周辺の源氏学─大庭賢兼を中心に─第四章 大庭賢兼筆『源氏物語』本文の様相」として、当該写本に関する研究がある。

○藤原護道は内藤内蔵助。正賀の二男。大内家の重臣。一族は代々長門国守護代に任じている。(金子金治郎『宗祇旅の記私注』36頁)
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