物語学の森 Blog版 ある学校経営者と戦後混乱期の私学民主化に関する覚書
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ある学校経営者と戦後混乱期の私学民主化に関する覚書
2019-03-03 Sun 07:16
 戦後の私立学校の経営は、法整備が追いつかず、かなり杜撰なところもあったようだ。以下、あれこれ調べていたなかで、松浦昇平と妻・ヒデ子なる学校経営者は、大学創立者として祭り上げられているにもかかわらず、当該の学園でも没年等、詳細は記されていない。当時の『人名録』等から、以下のようなことが知られる。

松浦昇平 松蔭学園理事長 香川県出身 昭和6年中大法学部卒 昭 18 中央大院経営学 
目黒高女満蒙学校 松蔭女学校各教論を経て同13 年松蔭学園理事となり、松蔭女学校理事長兼校長。財団法人東京一高校理事長、二松学舎大学理事長 中央大学評議員・校友会世田谷支部長
松浦ヒデ子 洲崎永之丞二女、明治44生 香川県女子師範、文化学院各卒 二松学舎大学理事兼大学教務課長兼附属高等学校主事

 昭和24年に新制大学となった二松学舎大学は、学長・塩田良平が、放漫経営の果てに多額の融資を受けていたところ、新制大学一期生入学者は一桁に留まり、万策尽きて同26年に辞任。後任には松浦昇平が262万円の負債を立て替えることで理事長に就任。ところが、運営は学納金の処理が公私混同、杜撰極まり、昭和30年9月ストライキにより大学そのものが機能不全に陥る。同年9月、国会の衆議院文教委員会で二松学舎大学事件の集中審議が行われ、理事長夫妻は罷免となり、大学は正常化としたという。さらに、東京一高でも3000万円の横領容疑で父母教職員から訴追されてここも退陣。直後に一高は國學院高校に吸収合併され、國學院高校は一高の地に移転して現在に至る。
 最後の牙城・松蔭女子学園でもデパートで女子生徒を働かせ、給与の一部をピンハネするという異常な経営者であった。ところが10年後の昭和40年2月8日、全高生徒2800人が校庭で23項目の要求を掲げて座り込みのストライキを断行。なかには「気まぐれに退学・停学にしないこと」「人格無視の下着検査はやめよ」などという驚愕の項目もあったという。

 以上、伊ケ崎暁生・碓田登著『私学の歴史』新日本出版社、1967年

 私学は自校教育を奨励されて、創立者等の事績を啓蒙する必要があるものの、こういう御仁は扱いに困るところ。数年前、創立者の姓を学校名にしているものの、上記と似たような事態に陥った学園もある。補助金ビジネスで証人喚問された理事長、そしてその妻の記憶も新しい。まったくもって困ったことである。なお、上記の本、洗足学園、京都女子大学、東京理科大学、明治大学等、身近な学園の闘争もしることができる。関係者には一読をお勧めする。


 
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