物語学の森 Blog版 紫式部日記絵詞「このわたり」、黒川本「このわたりに」
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紫式部日記絵詞「このわたり」、黒川本「このわたりに」
2018-11-08 Thu 08:21
旧森川家本『紫式部日記絵詞』(国宝 五島美術館蔵)

人よりもけにいとはつかしけにこそおはす
めりしかさか月のすんのくるを大将はおち
給へとれいのことなしひのちとせよろつよ
にてすきぬ左衛門の督あなかしこゝのわ
たり
わかむらさきや候とうかゝ給源氏□(に)
にるへき人も見え給はぬにかのうへ
はまいていかてものし給はんと
きゝゐたり」(第4段詞)

黒川本『紫式部日記』

か月のすんのくるを大将はをち給へとれい
ことならひの千とせ万代にてすきぬ左衛門
 のかみあなかしこ此のわたりわかむらさきや
さふらふとうかゝいたまふ源氏にかかるへき人
もみえ給はぬにかのうへはまいていかてものした
まはんときゝゐたり三位のすけかはらけ
とれなとあるに侍従の宰相たちて内のおとゝ
のおはすれはしもよりいてたるをみて
おとゝゑいなきしたまふ権中納言すみのま
のはしらもとによりて兵部のをもとひこし」38オ

 萩谷朴『紫式部日記全註釈』上巻、角川書店、1971年(pp.470-475)によれば、絵詞本文を優先する原則を徹底していたことが知られる。

「此のわたり」は諸本のプロバー本文に「このわたりに」となっているが、酔っ払いの呂律のまわらぬ言葉を写し取ったものとして、格助詞「に」を言い落とした崩れた会話語と見る意味で、絵詞本文を正しとする。pp.470

  拙著『紫式部と和歌の世界』では、このあたりの優先順位の「に」を取る校訂が不徹底だったことに気付く。現在継続中の社会人講義の際には訂正したい。

 なお、『源氏物語』巻名の本文史を以下に整理する。

1008年(寛弘五)11月1日 『源氏物語』おおよそ成る 浄書本(正副)、豪華本(正副)の4セットと、道長が愛娘の妍子のために作者の局から持ち出した草稿本の計5セットがあったことになる。

1021年(治安元年) 菅原孝標娘『更級日記』「をばなる人」から『源氏物語』五十よ巻を贈られる。「一の巻」、「光の源氏の夕顔、宇治の大将の浮舟の女君のやう」

1119年(元永2年)11月27日条 源師時『長秋記』、白河院と中宮璋子とのあいだで「源氏絵間(麻)紙可調進」の記事。
徳川・五島本『源氏物語絵巻』成立諸説
1120-1125 稲賀敬二・徳川義宣説
1120-1140 秋山光和・鈴木敬三説
1140-1150 小松茂美説
1170年代 詞書Ⅳ類 小松茂美説 

 徳川・五島本『源氏物語絵巻』 現存詞書巻名 「すゝむし」「ゆふきり」「みのり」 ※現存絵巻は鷹司家蔵の副本(上原説)

1156年(保元元年)  藤原(世尊寺)伊行 『源氏釈』54帖巻名の他に「桐壺 一名壺前栽」「まきはしら-さくらひと」「のりのし」
1233年(天福元年) 藤原定家『奥入』第一次・第二次 巻名確定「桐壺 一名壺前栽」
  『明月記』において、藤原定家の記した『源氏物語』巻名一覧

1226年(嘉禄2)年5月26日条 承明門院姫宮所望「紅葉賀」「未通女」「藤裏葉」三帖書進。
1230年(寛喜2)3月27日条 「桐壺」「紅葉賀」書写下命。
同年3月28日条 「桐壺」を書くこと渋る。
同年4月3日条「紅葉賀」を書終られず。
同年4月6日条 「桐壺」と「紅葉賀」進呈。
同年4月26日条 「夕顔」巻は忠明中将が分担書写したことを知る
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