物語学の森 Blog版 藤原定子の出家に関する文献二つ
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藤原定子の出家に関する文献二つ
2017-11-08 Wed 06:38
 藤原定子の出家に関する文献二つ。「御鋏して御手づから尼にならせたまひぬ」と類型的な表現のみ。

『小右記』長徳二年(996)五月二日条  
 中宮権大夫扶義(源)云、昨日后宮乗給扶義車 懸下簾、(略)、捜検夜大殿及疑所々、放組入・板敷等、皆実検云々、奉為后無限之大恥也、又云『后昨日出家給』云々、『事頗似実』者。

『栄華物語』巻五「浦々の別れ」
師殿(藤原伊周)は筑紫の方なれば、未申の方におはします。中納言(藤原隆家)は出雲の方なれば、丹波の方の道よりとて、御車ども引き出づるままに宮(定子)は御鋏して御手づから尼にならせたまひぬ。内には、「この人々まかりぬ。宮は尼にならせたまひぬ」と奏すれば、あはれ、宮はただにもおはしまさざらむに、ものをかく思はせたてまつることと、思しつづけて、涙こぼれさせたまへば、 忍びさせたまふ。『昔の長恨歌の物語もかやうなることにや』と、悲しう思しめさるることかぎりなし。①250~251頁
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