物語学の森 Blog版 27年前のノートから思い出したこと。
27年前のノートから思い出したこと。
2017-10-25 Wed 06:02


 中世史の中の古典文学と「宇治十帖と作者・紫式部」というふたつの原稿を抱えています。山のようになった机上を整理していたら1990年のノートが出てきました。 萩谷先生の学部の「日本文学特殊講義/清少納言と紫式部」。5月21日は、『紫式部日記』の第4段「しめやかなる夕暮れに」。殿の三位の君(藤原頼通17歳が、紫式部の局を訪ねて几帳を捲り揚げて話しかけている場面の板書の模写)。局の位置は拙編『紫式部と和歌の世界』165頁参照(ただし、局はのちに東の端(ツマ)からひとつ左に移動し、小少将の君と二つの局を几帳でシェアしている)。



 もうひとつのノートは、先生御定年の際に頂いた、先生、書き差しのノート。のちに『本文解釈学』として結実した『古典の解釈学的処置に関する研究』と題するものですが、これに関する言及はなく、大学院の演習だった、文字通り、「口訳『元輔集』下書」。このノートを頂く際、「上原君ひとりになっても必ず出版してくれよ」と言い遺されたことを思い出しました。このことは、いつも念頭を去らない懸案事項ではあります。

 このノートを開きつつ、思い出したのは、かつての真珠湾攻撃が回顧的に報道されていた12月8日前後であったか、萩谷先生から、「上原君、君はいくつになったかね」と御質問があったので、「はい、27(歳)になりました」と答えたところ、「ボクはお前さんの年にはスマトラにいた」と遠い目をされて往事を回顧されていたこと。御著書で調べてみると、奥様が懐妊中に赤紙が届き、上司の配慮で、一度赤ん坊を抱いただけで異国に出征。この前後のことは『ボクの大東亜戦争』(河出書房新社、1992年)に詳しい。しかもその時の産院が珍しい名前だったので記憶の片隅にあったところ、池袋ジュンク堂の信号待ちをしていた時、見上げたビルに同名のクリニックがあったので、びっくりしたことでした。
 
 先生は、それ以降、「お前さん(たち)は恵まれすぎているのに、ちっとも勉強しない」とよく怒っておいででした。こちらはかなり卑屈になっており、全然、「恵まれすぎている」とは思っていなかったため、内心ひどく反発していたものの、「古典不要論」が公然と書き記され、いわゆる、国文学が絶滅危惧種のこの時代になってみると、先生の憤りの源泉の、その意味が少しずつ分かってきたのです。
  

別窓 | 萩谷朴先生 | コメント:0 | トラックバック:0 | top↑
<<中古文学会@静岡大学 | 物語学の森 Blog版 | 古活字十行甲本『竹取物語』 by DK@竹取物語 氏>>
 
 
 
 
 
 
  管理者だけに閲覧
 

トラックバックURL

FC2ブログユーザー専用トラックバックURLはこちら
| 物語学の森 Blog版 |