物語学の森 Blog版 「御垣の原」と「御垣が原」
「御垣の原」と「御垣が原」
2017-07-25 Tue 07:52
 梅の花かうばしき夜の朧月にたゝずみ、御垣が原の露分け出でむありあけの空も、わが身ざまに忍ばるべくもなからむ人は、たゞ色好まざらむにはしかじ。(『徒然草』240段)

 注釈書類には本文を尊重して「御垣が原」とある『源氏物語』本文を、河内本であるとか、別本であるとしています。
 これは大島本を規準にしているからであって、明融本には「の(か)」と併記されているし、「乃」と「可」の字形相似による本文転訛のレベルでしょう。

『大成』1906 みかきのはら・大島本-みかきの(か) はら 明融本-みかきかはらを 穂久迩文庫本-みかきか原・ 阿里莫本

『日本国語大辞典 第二版』
「みかきのはら」【一】〔名〕
宮中や貴人の邸宅の築垣のあたりの野原。また、宮中や貴人の邸内の庭のこともいう。みかきがはら。
*源氏物語〔1001~14頃〕若菜上「一日、風にさそはれてみかきの原を分け入りて侍りしに、いとどいかに見落し給ひけむ」
*散木奇歌集〔1128頃〕恋下「とりつなげみかきの原のはなれ駒うき世にあれて跡も定めず」
「みかきがはら」「みかきのはら」【一】に同じ。*別本源氏物語〔1001~14頃〕若菜上「ひとつは風に誘はれてみかきが原を分け入り侍りし、いとどいかに見おとし給ひけむ」

参考文献・桧垣孝「「みかきが原」考」 「日本文学研究」30号、大東文化大学日本文学会、1991年1月

 ところで、『源氏物語』が1001年から1014年に書かれたとあるのは、夫・藤原宣孝没の直後から、旧来説(岡一男『源氏物語の基礎的研究』)の紫式部没年を論拠としているもよう。これは「常識」ではありません。念のため。
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