物語学の森 Blog版 池田亀鑑と折口信夫(釈迢空)
池田亀鑑と折口信夫(釈迢空)
2016-10-14 Fri 06:58
 先日、慶應での折口信夫と歌壇について詳しい方と少しばかりお話しする機会がありました。「折口は池田亀鑑と出会ったことで、自分の学問の弱点を知った」とのお言葉が印象に残り、以下のような木俣修の文章を想起しました。池田亀鑑は、紫式部学会を通じて歌壇に影響力のある折口と交流したことが『花を折る』からも知られます(『もっと知りたい池田亀鑑と『源氏物語』』第4集所収予定)。その交遊は終生続き、折口の葬儀に際しての池田亀鑑の姿は、稲賀敬二先生の回想がありました(「十余年後の後悔」古代文化、古代学協会、昭和43年1月)。
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木俣修「巨大なロマンチスト-池田亀鑑氏をおもふ」昭和女子大学光葉会「学苑」昭和32年2月

  池田さんを知ったのは古いことであるが、親しくねがったのは私が上京した昭和十八年以後であった。終戦直後NHKの企劃で対談などを放送してから、殊に池田さんは私を知ってくれたように思う。私が昭和女子大学で講義をもつようになってからは、月に二三度は教授室で一しょになれたからたのしかった。

 池田さんを私は勝手に浪漫派などと呼んだが、あれほどの精緻周倒の尨大な文献学的研究を生涯続けて来た実証派のきびしい神さまみたいな人であるにもかかわらず、池田さんの胸にはいつもみずみずしい浪漫的な精神がたぎっていたのではなかったかと思っている。それは文学の対象が王朝文学であったことにもよるが、なおかつその胸奥に自ら浪漫的な思慕の灯をたえずともし統けてきたからであったように思う。たいていのものならば、一も二もなくふみつぶされてしまうような、人生的な重圧と苦酸に堪え堪えて着々と所期の仕事を銃け、新しい権威を樹立した精神の中核は強烈な浪漫精神に貫ぬかれていたのだという風に私は考えざるを得ない。池田さんは作家の道をえらんでも一流を形成したにちがいない人だというような想像をしたことも私にはしばしばあった。
 晩年の折口信夫さん―私たちは釈さんといって、折口さんとはいわなかったが―と池田さんは親しくされたことを知っていた。二人の会談に同席したことなどもあったが、その学風は全く対蹠的でさえあったにもかかわらず、何か交流するものがあったようである。釈さんは歌人として現実写生派の根岸短歌会で修業した人でありながら生涯浪漫精神の中にたゆたっていたというのが私の見方である。学門も民俗土俗の上にたって浪漫的色彩に塗られていた。文献を必ずしも軽んじはしなかったか、さりとて決して文献を第一とはしなかった学者である。その人が池田さんと交歓したという事実は、おもしろいことだと私はながめていた。池田さんの浪漫的心情が学門を越えて釈さんと相通ったのではなかったのかと思うのである。

 注 池田亀鑑は一貫して「折口信夫博士」と記している。
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昭和26年、谷崎潤一郎監修・船橋聖一作『源氏物語』歌舞伎座初演、折口、池田亀鑑寄稿文
折口信夫「源氏物語と歌舞伎」-東海大学桃園文庫展より
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