物語学の森 Blog版 忘れかけた記憶を辿る その2
忘れかけた記憶を辿る その2
2016-09-20 Tue 07:24
 月曜日は普段ならお休みですが、祝日は短縮営業の清瀬「玄」へ。オーナーO君は、第二外国語中国語クラスと学部ゼミの同級生。ぼちぼち大学始業と来て、単位取得の話になり、必修の時間の縛りがあるゆえ、クラスメートとは履修もたくさん被りまた。 
 今にして思えば、もっと貪欲に勉強しておけば、中国語も聞き取れたろうし、字ももっと上手くなっていたはず。目的意識もあったような、ないような、現実とは乖離した大目標は持っていたから、歩の進め方が判らなかったと言うべきか、万事平均より若干下方に位置するだめな学生だったと思います。
 
 オーナーO君によると、一緒に履習した一般教養の「日本史」は出席と年一回のレポートで成績が決まり、早めに用意したボクのレポートが親本になって、数人がリライトした由(逆じゃなくて良かった!リライトした人たちは勤務先でかなり偉くなっている)。ところがリライト組は「A」、ボクがまさかの「D」。人の成績まで覚えてるんじゃない!
 いやはや、リライトのことはすっかり忘れていました。
 こちらに残る記憶は、年度明けてすぐに教務課で単位問い合わせをしたところ、「先生の初回講義の後で直接尋ねて下さい」とマニュアルがあるような回答。講義終わりに教壇に向かったところ、ちょっとびっくりの数の同級生達がおなじ問い合わせをしに来たのでした。結果、翌週、成績は「A」に変更となり、バス停でお会いした先生は顔を覚えていてくださり、ニッコリ挨拶して頂けたのでした。

 休み明けになると、「あの成績はどうしてですか」と学生が待ちかまえている夢を数年おきに見ることがある。それはこのときのことだったのだなあと得心した午後のいっときでした。

 帰宅して先生の消息を調べたところ、両親と同世代の昭和7年生まれ、定年後、講義内容をまとめたライフワークの単著を出しておられました。昔の大学の先生にはたいへんな学殖、造詣ながら生涯一作、ないしは数点という方もいらっしゃいました。すべては遙か昔、昭和も末の頃の話です。


 川越でO氏と同じアルバイトをしていた頃。O氏は喫茶コーナーをおもに担当していたようです。
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