物語学の森 Blog版 大江以言「閑庭花自落」詩『行履珠』の典拠
FC2ブログ
大江以言「閑庭花自落」詩『行履珠』の典拠
2016-09-10 Sat 07:59
 先に記した『狭衣物語』巻四の蹴鞠に際しての狭衣大将の朗詠「『かうりたまかへつてあとなかばふかし…』としのびやかに口ずさみたまひて」は、大江以言の七言律詩の六句目であることははやく大谷雅夫氏の指摘があったことは確認しました。この詩は『本朝文粋』巻十に「詩序」も収められています。

309 暮春、於尚書右中丞亭、同賦閑庭花自落 江以言 【大江以言】
房星過中之天、華月已晚之地、右尚書菅中丞、乞假臺中、勉閑廊下、彼衙門之皷朝暮、跡雖滑龍尾之周行。家園之花淺深、耳難拋鶯聲之鄭重。故乘繁務之餘力、方惜暮月於殘春。觀夫林庭正閑、花樹自落、客散蹤染、長謝鳥蹈人折之疑。鶴舞翅芳、未為雨打風駈之力。至彼苔髮之綠忽變、沙面之白彌添、延尉之門塵深、咲雀羅於寒草之露、御史之府日暮、嘲烏巢於古栢之煙者也。于時、蒼蠅聲急、綠蟣味濃。花容鳥語、誇榮遇於翰林之風。濡筆燥脣、釣沈思於詩流之浪。以言、山下之泉運遲、庭上之花詞短、摳青襟而漸老、染紫毫而獨慙。云爾。
 『本朝文粋』巻十

 二 暮春、於右尚書菅中丞亭、同賦閑庭花自落 一首 以心為韻。
送春花下一相尋 自落閑庭助醉吟 脆是天為人散牠 飄非風意鳥馴林
遊塵紅定蹊初合 行履珠歸跡半深 徒見多年開復落 今年初識有芳心 江以言
  『本朝麗藻』上巻、大江以言 

  詩の解釈は、小島憲之『王朝漢詩選』(1987)『本朝麗藻簡註』(1993)『本朝麗藻全注釈』(1993)と三種ありますが、このうち「行履珠」については、 「玉で飾った履物」としておおよそ同見解。ただし、語順がおかしく、さらなる調査が必要に思います。
 なお、 「珠履」については、『唐詩選』に以下のように見えます。 崔国輔は中唐の詩人。荒廃した皇太后の宮殿の様を詠じています。こちらは「天子の履物」。前者は、菅原資忠(936-989)の邸宅。だから、語順が違うし、あれこれ、しっくりしません。
 
長信草  一作長信宮、一作婕妤怨  崔国輔
長信宮中草 長信(ちょうしん) 宮中の草
年年愁処生 年年 愁処(しゅうしょ)に生ず
故侵珠履跡 故(ことさ)らに珠履(しゅり)の跡を侵し
不使玉階行 玉階(ぎょくかい)を行(ゆ)かしめず
 ※長信 … 漢の宮殿の名で皇太后の御所。
 ※珠履 … 玉で飾った履物。天子の履物。

 大江以言の詩の当該部を従来説によって、通釈すると、
「塵の漂うなかに紅の花は散って花の小道になる。履の美しい飾りが帰ってゆくとその足跡は半ば深く花に埋まってしまった。長いこと花が咲いては散るのを見るばかりではあったが、今年、初めて香しい花にも心のあることを知ったのである」
 以言は、晩春の落花が路を覆っている様を読み、崔国輔は皇太后の宮殿の荒廃して草が階段まで覆っている様を詠んでいる点で共通します。となると…、この続きは論文にします。
別窓 | 右書左琴の巻 | コメント:0 | トラックバック:0 | top↑
<<小諸義塾と藤村『旧主人』 | 物語学の森 Blog版 | 時空を超える箜篌の調べ>>
 
 
 
 
 
 
  管理者だけに閲覧
 

トラックバックURL

FC2ブログユーザー専用トラックバックURLはこちら
| 物語学の森 Blog版 |