物語学の森 Blog版 青山櫻州・村岡筑水連作「祖国のために」「栄光の騎手」「空魔あさひ号」の戦争観・世界観
青山櫻州・村岡筑水連作「祖国のために」「栄光の騎手」「空魔あさひ号」の戦争観・世界観
2016-08-12 Fri 07:05
 長野嘗一「小説家・池田亀鑑」のうち、「日本少年」連載のSF未来小説の評を紹介します。「祖国のために」は大正13年(1924)21巻から20回の連載。以後、「栄光の旗手」のみ村岡筑水名義となりますが、このことは、すでに架蔵コレクションとして紹介済み。
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 「空魔あさひ号」は、宇宙戦艦ヤマトの先蹤とも言える、水陸空自在の巨大戦艦。池田亀鑑の戦争観・世界観・平和観も窺える作品となっています。とりわけ、結末のローマ法王に和平の仲介を依頼するのは、実際、10数年後、史実として、昭和天皇が、開戦後、勝ちに乗じているときにローマ法王を仲介とした終戦工作をすすめたことを予見していたことになります(原武志『昭和天皇実録を読む』岩波新書、2015年)。まさか、小説発表当時20代半ばの昭和天皇が、この小説に想を得て工作を指揮したとは思えませんが、当時の宗教思想、世界観に共通の磁場があったことは確かでしょう。あるいは、若い側近に読者がいて、進言したのかもしれません。
 時間はかかりますが、いずれ全編を蒐集、その一部なりとも復刻したいと考えています。以下、長野氏の批評。

 もう一つ、見のがすことのできない長篇を彼はこの年の五月から書き出した。五月といえば結婚した翌月である。一家を構えて出費多端のおりでもあり、岩下小葉の好意があずかってもいたのであろう。新婚の二人は、新枕の甘い夢にそういつまでもひたっているわけにはゆかなかった。とにかくかせがなければならぬのだ。さてその作品は、「祖国のために」と題されたもので、日本少年の初舞台に、「青山桜洲」という新しい筆名のもとに掲載された。これは黄色人種と白色人種との未来戦争を描いたもので、十二月号で前篇を終り、翌々年の大正十五年一月から十二月まで、『栄光の騎手』と題して後篇をつづり、さらに好評にこたえて翌四二年一月から十二月 まで、「空魔あさひ号」と三たび題を新たにし、続篇を書き足して完結した。三年がかりの大作である。おもしろいことに、「栄光の騎手」だけが「村岡筑水」の筆名に変っており、この篇だけは親友の村岡にたのみ、自分は背後から援助するに止め、続篇は又自分が書く旨、青山桜洲の名で断り書きがしてあるのだ。同一の筆者があまり長く書きつづけるという印象をあたえまいとする偽装にすぎないが、こんな偽装が堂々と行われていたとは、のんびりした時代の息吹を感ずるとともに、例のとう晦が早くも初まっている事実を、われわれはここにみるのである。さてこの小説の荒筋は、西紀二千年代の某月某日、黄色人種と白色人種との間に戦争がおこり、日本は黄色人種の旗頭として陸海空の三軍をあげて戦うが、衆寡敵せずして敗北し、東京は敵機の蹂りんにゆだね、祖国は累卵(るいらん)の危機に直面する。そのとき村上理学博士の発明にかかる「あさひ号」という空中軍艦が完成し、それが敵機を蹴散らして帝都の急を救い、勢いに乗じて欧米の空にまで遠征するが、互に決定的な打撃をあたえ得ず、ローマ法王の仲裁が入って世界の平和が回復する。―――というのである。ちなみに「あさひ号」の性能は、鋼鉄の戦艦を空中に浮かべたようなもので、操縦は電波により、海中へもぐれば大潜水艦と化するというもので、着想の奇抜、規模の宏大で少年読者を魅了した。むろん、こうした軍事小説は、今からみれば保守とも反動とも評し得よう。が、当時としては通俗受けしたもので、ことに主人公ともいうべき村上博士の戦争呪咀、平和への望み、博士の下にあって活躍する少年主人公山田勇の正義感、弱きものへの満腔の同情は、全篇を貫ぬくすがすがしい清流となっている。将来おこるべき戦争が、国家と国家とのそれではなく、植民地解放をめざす人種戦であり、勝敗の帰趨は科学と科学との競争にあることを予兆したあたり、かなりの達見であるといい得よう。しかし、意外の好評にこたえて書き継ぎ書き足していったせいか、類似の場面が重畳しているのは著しく眼につく欠点であり、軍事知識にもやや常規を逸する箇処がないでもない。たとえば我が連合艦隊が、大挙して来襲した某国太平大西両洋艦隊を房総沖にむかえ撃つ件りの如き、激戦数合、制空権を失った我が艦隊は、旗艦長門・戦艦陸奥以下、決死の勇をふるって敵艦列に突入し、舷々相摩した機を逸せず、将兵はピストルと日本刀をふるって敵艦におどり込む。―――などという場面は、よんでいて思わず噴飯する。いかに大正年間に書かれたものとはいえ、近代海戦に彼我の戦艦が舷をつらね、将兵が敵艦におどり込むなどということは、あり得ようはずがないではないか。ここは作者が元寇の海戦を思い出して書いたに相違なく、筆がすべって思わぬ失態を演じたものと解するより、適当な評言が見当らない。ただし、戦争終結にローマ法王の仲裁を持ち出して勝負なしに終らせたあたり、並々ならぬ奇想の天外より落つる妙趣があって。作者の空想力の非凡を証するものといい得よう。以後、このような愛国小説を書くときは、青山桜洲のぺンネームを用いるのが例となった。
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