物語学の森 Blog版 学燃後知不足 『礼記』
学燃後知不足 『礼記』
2016-07-22 Fri 08:49
学燃後不足

 下村章雄「池田博士の人と業蹟」鳥取県政新聞、昭和33年1月5日~8月15日、18回連載+年譜 を入手。複写に尽力いただいた某先生、ありがとうございます。この文献は、以下のように紹介されています。

 ちなみに下村章雄氏は池田博士の小学教員の時代の教え子で、鳥取師範を卒業後、歴史・国語の中等教員免状をとり、各地の中学教諭を転々、さらに高等教員国語科の免状をも獲得、山口女専教授を経て、現在は米子西高校々長の職にある人である。右の「池田博士の人と業蹟」なる一文は、県政新聞に十数回にわたって連載された伝記であり、博士の青少年時代や小学教員時代の面目を伝える好資料である。」  長野嘗一「源氏物語とともに-池田亀鑑の生涯2」

 補足すると、下村氏は、『絶唱』の作者・大江賢次の二学年上になると言う。高等教員国語科検定に合格されたのは昭和10年。当時、大学を卒業せずとも高等教育機関の教育資格を得るための試験で、『枕草子』研究の田中重太郎(1917-1987)もこの試験の合格者。また、第一回の見出しのひとつに「名は『カメノリ』」とあり、亀鑑のことを父・宏文は「かめのり」と呼んでいたとありました。「亀鑑-きかん」は国文学者になってからの「有職読み」のようです。

 池田亀鑑の揮毫の典拠は、「学然後知不足 教然後知困」『礼記』第十八篇『学記』

 学びて然る後に足らざるを知り、教えて然る後に困しむを知る。足らざるを知りて、然る後に能く自ら反りみるなり。困しむを知りて、然る後に能く自ら強むるなり。故に曰く、教学相長ずるなりと。
 なお、1月中旬号の「岸本中学校新築落成」広告に「県会議員・野坂浩賢」の名刺広告がありました。後に、自社さ・村山内閣で建設大臣・官房長官を務めた野坂元衆議院議員(1924-2004)の若き日(29歳時)の記事でした。
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