物語学の森 Blog版 岩下小葉「北陸山陰巡礼日記」(「少女の友」第14巻6号、1921年)
岩下小葉「北陸山陰巡礼日記」(「少女の友」第14巻6号、1921年)
2016-07-04 Mon 08:26
 岩下小葉「北陸山陰巡礼日記」(「少女の友」第14巻6号、1921年、4月号に米子での開催予告掲載)には、「昨年夏の初め頃、池田芙蓉君が私の宅へお見えになつて、九月の新学期の頃、山陰道で友ちやん会を開きたいと思ふから、是非御都合をつけて御来陰あっては如何、と頻りに勧告されました」と始まる、金沢、京都、桃山、宇治、そして大社、松江、米子、鳥取各地での読者との交流が綴られ ています。結果的に実施されたのは翌年4月初旬。4月9日の米子高等女学校での友ちゃん会の模様は以下のように書かれています。

  午後一時監事奥田千代子さんの開会の辞があつて当女学校二年生の唱歌、張田校長のお話、女学校三年の唱歌、梅田主筆のお話、女学校四年生の唱歌、それから私の話がすんだのち、三羽の蝉といふ小学生の可愛らしい対話唱歌があつて監事皆越鈴江さんの閉会の辞で、目出度くこの会は終はりました。会する者千余名、会場稍手狭の為に、入場をお断りした向もあつたやうでした。

かくして、小葉と池田芙蓉の「巡礼記」は以下のようにユーモラスに結ばれる。

 …湯町で降りて、玉造に行くべきを松江で降りてしまつて、待合室で四時間も腰かけてゐたのは失敗の第四。但し、之は案内役池田君の罪。十一日二時半に京都に着くべきを十二時着と予告してあつた為、京都の人達に迷惑をかけたのは失敗の第五。但し、之も時間割作成者池田君に責任を譲る。十二日午前四時に静岡を通過すべきを、時間表を見誤つて午前五時と通知したため、月出文子さんと野村延子さんに頓でもない御苦労をおかけしたのは誰に罪を被せやうもない私の最後の大失敗いやはや汗顔の至りに堪へません(失敗の数々)。

 岩下小葉は、一回り年下の池田芙蓉を、まさしく弟のように接し、今の言葉で言うと「いじって」いたのでした。
別窓 | 池田亀鑑 | コメント:0 | トラックバック:0 | top↑
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