物語学の森 Blog版 池田亀鑑の小説第一作に関する読者の反響
池田亀鑑の小説第一作に関する読者の反響
2016-07-02 Sat 06:42
 池田亀鑑(当時23歳)の小説第一作「元弘哀話悲しく美しい安養尼のお話」については、大正八年(1919)発行の第九号に、読者の反響が、以下のように紹介されています。

 記者室より
  安養尼のお話に就て
記者から申し上げます。本誌七月号は池田君の「安養尼の話」を掲載いたしました処が、果然其反響が諸方から参りました。次の三篇を代表的に記載いたします。尚記者への手紙やら通信欄やらへも、推讃感謝のお言葉を頂戴いたしました。七月号は上巻でしたが、本号には下巻が載つて居ります。どうか、本誌の愛読者でない方々にも、これだけはお読みなさるやう、皆様から友さんを貸して上げて下さい。
▲ 家庭の読み物として七月号少女の友安養尼の如き歴史的記事を歓迎す     (鷲州町一教育者)
▲ 七月号少女の友七月号掲載の安養尼のお話は、実に真面目にて而も趣味多く、加うるに行文流麗、家庭に於ける子女教育の好資料として、他雑誌に見ることを得ざる金玉の文字に候。謹んで執筆者の労を謝し併せて編集長足下に感謝の意を表す。(大阪市一父兄より) 
▲ 私共はつね/\瓊子内親王様の御孝徳をお慕ひ申して居るものでございます。この度少女の友七月号掲載の安養尼のお話は、事実といひ、文章といひ、実に家庭教育の好資料として、深く歓迎する所でございます。今後もこの種の史的材料を御掲載下さるよう切に希望いたします。此の絵端書は内親王の御廟でございます。(御廟所地 少女の友読者より) 註・中央に提供写真

 執筆した「記者」は主筆で後に義兄となる岩下小葉(1884~1933)の書いたものであろう。注意すべきは、この時点で「池田君」と記されていることで。このことから、すでに埋め草となる雑文等を寄せて読者には知られる存在であったことが類推されます。
 池田亀鑑が、実業之日本社との関わりを持つようになったのは、読者としての投稿が名文なるを以て才能を見出されたからであるという。このことは、長野嘗一「小説家・池田亀鑑」に詳しい。
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