物語学の森 Blog版 長野嘗一の小説家・池田亀鑑評
長野嘗一の小説家・池田亀鑑評
2016-06-18 Sat 08:35
 長野嘗一「小説家・池田亀鑑」(「学苑」218.219.221号、昭和女子大学光葉会、1958年5月~1958年8月)は、結果的に全生涯を辿った評伝。三年後、新たに書き下ろされた 「源氏物語とともに-池田亀鑑の生涯(1~4)」『立教大学日本文学』7-10号、1961年11月~1963年6月)と内容的にかなり重複しています。また、後者の末に「前編終わり」とあるものの、後編は未刊に終わりました。なかには、評伝と言うより、創作的なところもあり、他の文献と齟齬するところもありますが、現時点ではもっとも詳細なものと言えるでしょう。小説家時代を長野嘗一は以下のようにまとめています。やや辛口の感がありますが、小説のほぼ全貌を読んだ批評としては資料的価値が高いと思います。以下、引用します。

一 亀鑑は六つのペンネームを使い分けて、あらゆる種類の通俗小説を書いてきた。質の如何を度外におけば、分量と種類の多いことは、まさに驚異に値する。ことに実作の期間がわずか十年そこそこであり、それも本業の片手間仕事であった事実に想到すれぱ、単位時間内に創作した密度の濃さは随一とも断じ得よう。通俗作家の怪物といわれた牧逸馬が、三つのペンネームを使い分け、時代物・現代物・探偵物を次から次へと乱作したのに、これはまさしく匹敵するほどの壮観である。牧逸馬はそうして得た巨万の富で眼もくらむような大邸宅を新築したが、移転してまもなく頓死した。槿花一朝にして潰えた王侯生活の夢であった。亀鑑はこうしてすえた土台の上に、学問という本建築をドッカとすえることができたのである。

二 次に質を吟味してみよう。―――変り身のはやいこと、場面の転換があざやかなこと、クライシスとサスペンスの配し方が巧みなこと、文章がロマンチックで流麗なこと。これらは一読眼につく長所であろう。メロドラマ風の構成は、この作者がつねに得意としたところだ。

三 その反対に、主人公の性格がいつもきまって同じなこと。正義熱血の勇少年か、純情可憐の美少女であることは、それが通俗小説の定型であるという事情を考慮しても、なお単純をまぬがれない。通俗小説にモラルを云々するのも大人げない話だが、作品にもられた思想は全く既成倫理の復習にすぎず、それも教育勅語を忠実に実践すればこんな具合になるだろう、というのが彼の小説であるといってよい。もっとも、これはあまりに「今の眼」に執しすぎた批評ともいえるので、婦人や少年少女相手の娯楽雑誌としては、この程度が手ごろであったともいえるだろう。ことに実業の日本社の社風がそれ以上の冒険をチェックしたのかもしれない。

四 作者の空想力と筆力とは、まれに見る旺盛を誇ってよいのだが、後半になると類似の構想が頻出して、やや種切れの感がある。それに多忙な生活の少閑を盗んで書いたせいか、ところによっては文章のキメが荒く、言葉の選択にも推敲がきいていないうらみが少くない。「ホウホウとふくろうが鳴く」とか、「空には星影がまたたいてゐた」等の文句には、何度出会うか分からない。

五 しかし、とにかく、大正末から昭和初年にかけての「児童文学者」「通俗作家」として一席を要求し得ることは確実であろう。たまたま通俗小説流行の時流に乗じたことが、好運を切り開いたことも、指摘しておいてよいだろう。

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