物語学の森 Blog版 小説家・池田亀鑑の始まり その四
小説家・池田亀鑑の始まり その四
2016-06-13 Mon 07:36
 長野嘗一「小説家・池田亀鑑(2)」には、東京高等師範学校卒業の後、女子学習院(1922年(大正11年) )を一年で退職した理由をふたつ挙げています。やや筆が滑って、脚色めいたところがありますが、原文のまま引用します。

 なるほど女子学習院の生徒たちは、まぎれもない貴族の姫君である。が、それに対する亀鑑の地位は、「若紫」や「女三の宮」に対する惟光のそれにも及ばない。雨の日はことにひどかった。彼が雨靴をはき、コウモリをさし、ぬかるみを歩いてゆく横を彼女たちは自家用車におさまり、容赦なく泥をはねかけながら通ってゆく。教壇では先生としての礼儀を一応受けるものの、一足校門の外を出れば、三太夫にも及ばない。たまたまそういう血統に生まれたというだけの理由で、これほどの大差が生じるのだ。人間としての自尊心をかなぐり捨てたものか。そいうことに超然としているものでもない限り、こんな所の教師はつとまらない。―――そう亀鑑は考えたのではあるまいか。(皓氏談)
 源氏物語の女性に恋するものは、しらずしらず自分を光源氏の地位においている。そうしてそのことを忘れている。物語をよむ場合は、それで空想の楽しさを味わい得るが、現実に直面した場合には、幻滅の手ひどい打撃を受け易い。そう気づいたとき、亀鑑には持前の反逆心がわいてきた。彼には高貴なものにあこがれる心がある反面、それに抗し、それに逆らい、貧しきものに同情する心があることは前にも説いた。貧者のうちに人となり、しかも近き祖先に栄華の追憶をもつものの、一は劣等感が、他は優越感がなせるわざとして、この二律背反の矛盾を解することができるだろう。故郷の山村に残してきた、あの鼻ったらしの教え子たちが、たまらなくなつかしくてならなかった。
 そんなとき、柔順で可憐な房子の顔を見るために、彼は千駄ヶ谷へいそぐのだった。
 第二の理由は、この学校の職員室における、大学派と高師派とのあつれきである。どこの学校にもよくあることだが、この学校でもそれがひどかった。亀鑑はそれにいや気がさし、学問で身を立てるには大学を出ておく必要を痛感した。(皓氏談)彼は一高卒業の資格試験を受けて及第し、翌大正十二年、東大の国文学科に入学した。青春ようやく老いんとする二十八歳の春である。
この年は東大が傍系からの入学をゆるした最後の年で、同級には塩田良平・風巻景次郎・倉野憲司・窪田敏夫・藤川忠治・森本治吉・吉田澄夫などの俊秀が、雲の如くに集まっていた。そうして更に一年経った大正十三年四月五日、彼は房子と結婚した。亀鑑二十九歳、房子二十一歳。媒酌の岩田九郎は東京高師の先輩であり、上野高女の教諭で房子の恩師に当るのだが、これは表面上の仲人で、実際の仲人は岩下小葉夫妻であった。数年間若い二人の交際を見守ってきた夫妻は、この日の来るのをどんなに待ち望んだことであろう。それというのが、秀才の名が高くなり、社会的地位が進むにつれて、方々から縁談の口がかかってきたからだ。そのたびごとに房子が小さな胸を痛めるのを、姉夫婦はだまって見ているにしのびなかった。だが、亀鑑の誠実は房子への約を裏切らなかった。彼女は夫の胸に顔を埋め、女の身の幸福に忍び泣いた。筆者はこの項を草するために、房子未亡人に、「お二人の恋愛は相当なものだったそうですね」とたずねたことがある。「いいえ中くらいの恋愛ですわ」と、未亡人は苦笑して卑下されたが、皓氏の談によれば、それはは(・)た(・)眼(・)にも妬ましくなるほどの猛烈なラヴであったという.
 結婚と同時に、房子は帝国女専を中退し、あらためて日本女子大の家政科に入学した。これからの女性には高い教養が必要である所以を亀鑑は説いて、この英断に出たのである。学費はすべて亀鑑が出した。そのぶんは原稿料でかせがせてやるという約束が、小葉との間にできていた。夫婦ともに学生であるということは、今どきではそう珍しいことではないが、当時としては稀なる例に属したであろう。しかも二人の生活費から学費の一切を、若い夫の片腕がかせぎ出したわけである。当時東京の池田家には、新夫婦のほかに、父の宏文、弟の辰郎が同居しており、のち少しずつの間をおいて、妹の幸枝、弟皓、母のとらと末妹万亀枝が郷里から上京してこれに加わった。新妻房子は朝の四時半にはとび起きて台所に立ち、朝食後その跡片附をすませると、ほつれ毛に櫛を入れ、長い編上の靴を履き海老茶袴の裾をなびかせて目白の女子大へ通った。

 ※「千駄ヶ谷」-実業之日本社の岩下小葉の家。妻・律子の実妹・原田房子は、姉を頼って熊本から上京、上野高等女学校(現・上野学園中等・高等学校)に転入。帝国女子専門学校(現・相模女子大学)に進学していた。
 ※岩田九郎「故岩田九郎先生略年譜、講義題目、著書・論文目録」「日本文学研究」 9号、大東文化大学日本文学会、1970年2月
  
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