物語学の森 Blog版 小説家・池田亀鑑の始まり その三
小説家・池田亀鑑の始まり その三
2016-06-08 Wed 06:26
 池田亀鑑が実業之日本社の社員であった時期は諸説有り、後者の昭和2年から5年までが正しいようです。萩谷先生によって、退社は、当時のあまりの多忙さを見かねた恩師・藤村作の勧告に従ったとありました。

「なお、『馬賊の唄』の原作者池田芙蓉は、後に東京帝国大学教授として『源氏物語』研究の第一人者となるが、二十代後半の若き日、わが社に在籍し、北大路春房、青山桜州、池田芙蓉の筆名で『婦人世界』『日本少年』『少女の友』に長編連載小説を執筆し、昭和初年の短期間、『婦人世界』『日本少年』の主筆を務めた。(106頁)」『実業之日本社百年史』(1997年) ※大正15年で30歳。

「昭和2年4月から一年間、亀鑑は第一高等学校の講師を委嘱された。ほぼ時を同じうして正式に実業の日本社員となり、「婦人世界」の編集を委託された。そう言う名前はなかったが、事実上の編集長である(房子夫人談)。彼はこれまでも岩下小葉を通じて、雑誌の編集にはたひだたび智恵を貸してきた。増田義一社長がその才能に惚れ込み、小葉を通じて彼の入社を慫慂したのである。(33頁)」「長野嘗一「小説家・池田亀鑑(2)」」

「亀鑑が正式に実業の日本社を辞めたのは、昭和5年35才の時であった。この後も小説だけはしばらく書いていたが、それも翌6年をもって終わりを告げた。それからもたまに社を訪れることはあったけれど、昭和8年4月岩下小葉が死去してからは全然姿を見せなくなった。小葉にみとめられ、その庇護のもとに送ったジャアナリストの生活に、完全な終止符が打たれたのである。そうして翌くる9年の3月、亀鑑は東大助教授に任ぜられた(26頁)」「長野嘗一「小説家・池田亀鑑(3 )」」※小説は昭和8年まで執筆

 
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