物語学の森 Blog版 紫の上の病勢
物語学の森 Blog版
このBlogは、私が物語研究の途上で出会った様々な発見や、物語をともに学ぶ人々との出逢いを綴ったものです。ごらんのみなさんにも物語文学の深遠なる森の如き世界の一端をお知りいただければ幸いです。
紫の上の病勢
   昨日の紫の上結核説が気になり、本文を見直してみました。「御胸を悩みたまふ」は、咳、喘息、痰、「御身もぬるみて、御心地もいと悪しけれ」は発熱、 寝汗、さらに人事不省でしょうが、「御法」巻に以降の発作は「いとおどろおどろしうはあらねど」とあるように、血痰、吐血等は描かれず、全身の衰弱が進んでいることが分かります。

 となると、「若菜」下巻の症状は、心臓発作・心筋梗塞の症状のようにも読めますが、当時、心肺停止後の蘇生が可能とは思えず、酒井シズ、加藤茂孝両氏のような診断になるのでしょう。「御法」巻では、和歌の唱和もあり、心筋梗塞だとすると、「若菜」下巻時の蘇生後、脳血管障害によって身体の自由が利かなくなることことも想定されますが、それも書かれていません。衰弱死ということになるのでしょうか。なお、調べてみます。

若菜・下巻

 暁方より、< 紫>御胸を悩みたまふ。人びと見たてまつり扱ひて、 「御消息聞こえさせむ」 と聞こゆるを、 < 紫>「いと便ないこと」 と制したまひて、堪へがたきを押さへて明かしたまひつ。御身もぬるみて、御心地もいと悪しけれど、院もとみに渡りたまはぬほど、「かくなむ」とも聞こえず。

 …大殿の君は、まれまれ渡りたまひて、えふとも立ち帰りたまはず、静心なく思さるるに、 「絶え入りたまひぬ」 とて、人参りたれば、さらに何事も思し分かれず、< 六条院>御心も暮れて渡りたまふ。
 …すぐれたる験者どもの限り召し集めて、 「限りある御命にて、この世尽きたまひぬとも、ただ、今しばしのどめたまへ。不動尊の御本の誓ひあり。その日数をだに、かけ止めたてまつりたまへ」 と、頭よりまことに黒煙を立てて、いみじき心を起こして加持したてまつる。院も、 「ただ、今一度目を見合はせたまへ。いとあへなく限りなりつらむほどをだに、え見ずなりにけることの、悔しく悲しきを」 と思し惑へるさま、止まりたまふべきにもあらぬを、見たてまつる心地ども、ただ推し量るべし。いみじき御心のうちを、仏も見たてまつりたまふにや、月ごろさらに現はれ出で来ぬもののけ、小さき童女に移りて、呼ばひののしるほどに、やうやう生き出でたまふに、うれしくもゆゆしくも思し騒がる

御法
 紫の上、いたうわづらひたまひし御心地の後、いと篤しくなりたまひて、そこはかとなく悩みわたりたまふこと久しくなりぬ。いとおどろおどろしうはあらねど、年月重なれば、頼もしげなく、いとどあえかになりまさりたまへるを、院の思ほし嘆くこと、限りなし。
< 紫> 「今は渡らせたまひね。乱り心地いと苦しくなりはべりぬ。いふかひなくなりにけるほどと言ひながら、いとなめげにはべりや」 とて、御几帳引き寄せて臥したまへるさまの、常よりもいと頼もしげなく見えたまへば、 「いかに思さるるにか」 とて、< 明石中>宮は、御手をとらへたてまつりて、泣く泣く見たてまつりたまふに、まことに消えゆく露の心地して、限りに見えたまへば、御誦経の使ひども、数も知らず立ち騷ぎたり。先ざきも、かくて生き出でたまふ折にならひたまひて、御もののけと疑ひたまひて、夜一夜さまざまのことをし尽くさせたまへど、かひもなく、明け果つるほどに消え果てたまひぬ。

 

2016-05-27 Fri 06:30
別窓 | 源氏物語の巻 | コメント:0 | トラックバック:0
<<『風立ちぬ』の昭和 | 物語学の森 Blog版 | 紫の上結核説>>
この記事のコメント
コメントの投稿
 

管理者だけに閲覧
 

この記事のトラックバック

| 物語学の森 Blog版 |