物語学の森 Blog版 紫の上結核説
紫の上結核説
2016-05-26 Thu 06:52
 授業で何年も戦前の結核文学を扱っているので、遡って古代の結核を調べてみたところ、理化学研究所の加藤茂孝氏の医学論文に詳細な報告がありました。御著書にまとめられてありますが、ともあれ、平安時代文学に関しては、これに注目した論文を見ないので、大事な部分を引用します。なお、萩谷先生の『新潮日本古典集成 枕草子』下巻(新潮社、初版1977年、12刷2000年-引用は後者)の「病は(180段)」では『内科秘録』『小右記』寛仁二年五月二七日条、『台記』久安二年十二月三日条を引き、男子の胸の疾病を肋間神経痛とし、『落窪物語』巻二の落窪姫の病状を温石治療を進めているから胃痙攣と推定、結果として「本段の女房の胸病を胃痙攣と見る可能性が高い(83頁)」とあります。胸と胃は違うとは思うのですが、とりあえず。

 以下、該当部分引用します。

3. 枕草子と源氏物語に書かれた結核

 結核は、近代になって病理学的に疾病として確立してからの名前である。病態としては肺結核、腸結核など多岐にわたるが、人々に結核の代表的なイメージを形成させた肺結核は、平安時代には「胸の病」と呼ばれた。清少納言の『枕草子』(996 年頃成立)に、「病は、胸、もののけ、あしのけ、はては、ただそこはかとなくて物食われぬ心地」とある。胸の病には、当然心臓病も含まれていたが、多くは結核であったとされる⑦。
 清少納言は「白き単(ひとえ)なよらかなるに、袴よきほどにて、紫苑の衣のいとあでやかなるをひきかけて、胸をいみじう病めば、友達の女房など、数々きつつとぶらひ、外のかたにも、わかやかなる公達あまた来て、「いといとほしきわざかな、例もかや悩み給ふ」など、こ(と)なしびにいふもあり」と書いており、若い女性の胸の病に人々は深く同情している。同じ時期に書かれた『源氏物語』(1008 年頃成立)にも、紫の上が胸の病を患い、光源氏が悲しんでいる様子が語られている。紫の上は、肺結核だった!
 これらは、平安時代の描写であるが、まるで、昭和期の堀辰雄「風立ちぬ」の描写そのままである。平安時代も近現代も、結核は若者を多く冒した。若者、特に若い女性の結核は、多くの同情を呼び、数多の「結核文学」とでも言うべき文学作品の系列を生んでいるが、そのはじまりが枕草子に見られる。

 註⑦酒井シヅ「病が語る日本史」講談社学術文庫、2008 年

加藤茂孝「人類と感染症との闘い―「得体の知れないものへの怯え」から「知れて安心」へ ―第 3 回「結核」-化石人骨から国民病、そして未だに」「モダンメディア」55 巻 12 号 2009年 栄研化学株式会社  +引用本文に脱落があったので( )を補った。
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