物語学の森 Blog版 日本古典全書『源氏物語』「凡例」と校訂方針
日本古典全書『源氏物語』「凡例」と校訂方針
2016-05-17 Tue 07:02
 以前、「方法としての池田亀鑑-『校異源氏物語』の成立と桃園文庫」『源氏物語本文のデータ化と新提言3』平成二五年度科学研究費補助金基盤研究(C)報告書、國學院大学文学部日本文学科発行、2014年3月で「帚木巻」の池田亀鑑の本文校訂を検証した際、一巻目の「凡例」(1946年12月)を検討しましたが、「柏木」巻を含む、第四巻(1952年3月)の校訂方針は若干変更点があるので確認しておきます(なお、最終配本となる第七巻(1955年12月)も同文)。

○第一巻の巻首に附した凡例中、本巻にも関係する諸点を再録し、あはせて二三新しく気のついた事をも附記することとする。
○本文については、校異源氏物語の底本となつてゐ大島雅太郎氏蔵の青表紙本に依り、他の系統の諸本の本文を参照し、大島氏本自身の誤脱を補訂することによつて、定家所持本の再建に努めた。
○河内本は註釈的意図による校訂本文で、文意は通じ易いが混成した本文であるから、底本には比較的純粋な一系統線上にある青表紙本を採択し、専らこの系統の内部を清掃しつつ遡上することに依って、作者自身の原本に近づかうと努力した。
○右青表紙本の再建に当つて、定家本自身に犯された誤謬と思惟すべきものは、河内本、別本などの諸本の異文を参照し、それらによつて誤謬の過程が説明し得られる場合には、これを訂正した。     三頁

 なお、この方針に基づいて、「柏木」巻の定家本、明融本、大島本共通の脱文は、以下のように他本によって補綴されています「柏木①」。これは「誤脱を補訂」したもの。もう一つ、巻末異文は、「誤謬の過程が説明し得られる場合」には該当しないと判断されたものの、注記で異文を提示する方法▼を採っています。
 これは、ともに現行の注釈書の校訂本文の規範となっているわけです。

柏木 ①
▽日本古典全書 236-6 底本・定家本ならびに大島本

さすがに限らぬ命の程にて、行末遠き人は、却りて事の乱れあり、世の人に譏らるるやうあり▽ぬべきことになん、なほ憚りぬべき」▽など宣はせて、大臣の君に、(朱雀)「かくなむ進み宣ふを、今は限りのさまならば、片時の程にても、その助(たすけ)あるべきさまにてとなむ、思ひ給ふる」

柏木②
▼日本古典全書 236-6

御心ひとつには形見と見なし給ヘど、人の思ひよらぬ事なれば、いとかひなし。秋つ方になれば、この君はゐざりなど▼したまふ様の言ふよしもなうをかしげなれば、人目のみにもあらず、「まことにいとかなし」と思ひ聞こえたまひて、常に抱きもてあそび聞こえたまふ▼。
※註⑥薫は這ったりゐざつたりなさる。以下河内本、別本「し給ふ様の言ふよしもなうをかしげなれば、人目のみにもあらず、「まことにいとかなし」と思ひきこえ給ひて、常に抱きもてあそび聞こえ給ふ」(附記)保忠の死を近代とする点に注意。


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