物語学の森 Blog版 池田亀鑑の『枕草子』諸本論再考
池田亀鑑の『枕草子』諸本論再考
2016-03-19 Sat 08:01
 山中さんから頂いた本を読み進めながら、第一章に関連する池田亀鑑のNHKラジオ古典講座の音源を再度び聞き直してみました。この音源は「日本の古典のうち、枕草子より」「季節美の表現」の複数回の内の二講分で約30分。これには「テキスト=教科書(「古典解説シリーズ 14 枕草子」弘文堂、アテネ文庫、1955年か)」があって、それをもとに話をしています。一回目は「五月ばかりなどに山里に歩く」の段、もうひとつは前田家本から「六月廿日ばかりに」の段。
 前者では「テクストの系統(三巻本)の本文…近ううちかかりたる」と「他の本…かかへたる」の本文を紹介しながら、後者を「もとの本のかたちに近いと認めたいと思います」と述べています。また、諸本に共通する「節は、五月にしくはなし」を参照しながら、清少納言の季節の表現を論じています。

 五月ばかりなどに、山里にありく、いとをかし。草葉も水もいと青く見えわたりたるに、上はつれなくて草生ひ茂りたるを、ながながとただざまに行けば、下はえならざりける水の、深くはあらねど、人などの歩むに、走りあがりたる、いとをかし。
 左右にある垣にある、ものの枝などに、車のやかたなどにさし入るを、急ぎてとらへて、折らんとするほどに、ふと過ぎてはづれたるこそ、いと口惜しけれ。蓬の、車に押しおしひしがれたりけるに、輪のまはりたるに、近ううちかかかへたるもをかし。(三巻本二〇八段)

 五月四日の夕つ方、青き草おほくいとうるはしく切りて、左右にになひて、赤衣着たる男のゆくこそをかしけれ。 (三巻本二一〇段)


 二講目は、なんと類纂本系統の前田家本文で六月、七月の季節観を論じています。これは山中著書・第七章p211-213に池田亀鑑説(後掲)を引きながらの考証があります。「うだるような暑さの中に」「『白氏文集』の「新秋」の一節を見出した」若い時を過ぎた清少納言の心境を論じています。

  六月廿余日ばかりに、いみじう暑かはしきに、蝉のこゑ、せちに鳴き出だして、ひねもすに絶えず、いさゝか風のけしきもなきに、いと高き木どもの木暗き中より黄なる葉の、一つづつやうやうひるがへり落ちたる、見るこそあはれなれ。「一葉の庭に落つる時」とかいふなり。(前田家本二〇六段、堺本二〇〇段)

 ※「二毛生鏡日 一葉落庭時 老去争由我 愁来欲泥誰……」(白氏文集・巻十八・一一二一・「新秋」)

 七月十余日ばかりの日盛りのいみじう暑きに、起き伏し、いつしか夕涼みにもならなむと思ふほどに、やうやう暮れ方になりて、ひぐらしのはなやかに鳴き出でたる声聞きたるこそ、ものよりことにあはれにうれしけれ。(前田家本二一五段、堺本二〇五段)


 池田亀鑑は、この講義のもととなる「枕草子評註六 音と声の美」「国文学 解釈と鑑賞」(12巻八号、至文堂、1947年)以来、三巻本一辺倒ではなく、類纂本系統の独自本文を持つ前田家本本文をも含む、汎『枕草子』諸本を以て「清少納言の『枕草子』」と称していたことを確認しておきたいと思います。

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