物語学の森 Blog版 こちらも見本出来ました。
こちらも見本出来ました。
2016-02-26 Fri 05:51
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 見本は金曜日に製本出来の予定でしたが、木曜日には落掌。本当にお世話になりました。

 ただし、助成金の書類提出がこれから。昨年夏、掲載許可を取った諸処の記憶がすでに曖昧で、通信記録を辿りつつ確認。海を隔てたお国には、申請書は日本語で、メールはそちらの国のことばで作文しました(汗)。
 第二外国語はそちらの国語だったのに、ほぼ素人同然の語学力となっています。母校のクラス編成もそちら語を第一外国語に選んだクラスがA、第二の僕等がB(このニクラスが一年次、萩谷先生の土佐日記)、以下、ドイツ語、フランス語と分けられていたと記憶します。先日も琴の稽古に伺ったところ、その昔お父さんに抱っこされながら、ギターを習っていた先生のお嬢さんが、小学校六年生になっており、「你好」と挨拶したところ、「こんにちは」と返されてあとが続かず…。もちろん、稽古中に漢詩をそらちの国のことばで歌うのも脂汗でした。
 
 昨年秋に伺った新潟の高校の進路指導部長の先生も、学籍番号(60番台-「ワ-渡辺」)で挨拶して下さったのでAクラスの人だと分かったけれども、ボクが「ウ」で(57J111)だったので、0…番台がA。1…番台がB、2…番台がCで、170.180は空番号だったことが分かります。ちなみに、後輩に当たる若い語学の先生に、「昔の学籍番号って元号だったらしいですよ」とニコニコしながら言われましたが、まさに昭和元号+日本文学の「J」、年の差を実感しました。さすがに博士課程は西暦番号(90JD002 )だったので同時期に在籍していたことも判明。さて博士課程は三人でボクが最年長。1番君はご指導の先生の葬儀にも連絡が取れず、行方不明の不幸者ながら、3番さんは母校で教授を務める某先生

 さて、7年戻ってAクラスには古筆研究で著名な書家の某先生(学部時代四年間特待生!)もおり、我等のBクラスにも著名で優秀な高校の先生方が幾人もおいでになります。何年か前、茨城訛の某君が電話をしてきて、聞けばご子息の進学先を考えていたようで、「今は代返なんて出来ないぞ。学生の出欠席も学生証に埋め込んだICでコンピューター管理しているところもあるから、学籍番号入れれば遅刻・欠席が多いとか一発でわかるんだ」と話すと、電話の向こうで沈黙していました。父は代返王の如く、やんちゃな学生でしたが、今はかなり偉くなっているらしく、きまりが悪そうだったので、その辺でやめておきました。ただし、こちらも偉そうなことはもちろん言えず。単位を全部取ってしまうと、4年生の授業料の均等割りで演習科目の単価が高くなると考え、教職科目の西洋教育史等を残していました。もちろんこの頃になると目標も定まり、真面目に出席して、ノートも比較的丁寧に取っていましたが、試験前にゼミの後輩に当たる3年生の女子に、「ノート貸してくれない」と声を掛けたところ、あっさり玉砕NG。追い出しコンパで理由を尋ねたところ、「先生になろうとしている人が、そんなことダメです」と叱られる。折口信夫の講義ノートですら、池田弥三郎、西村亨ノートは校合して完璧なものを志向しているのだから、互助か、独力かという考え方の違いだけれども、生真面目な人もいたもので、採用試験も一発合格、よい(ちと怖くて苦手)先生になっておいででしょう。

 時代は移り、今は全授業、テーマ毎にパワポを用意しているので、「ノートは買わなくてよいから、データファイルを各自で管理するように」と指示しています。しかも、1年生にはパワポのノート型印刷の方法まで指導。いっぽう、教員側は、レポート、教材データ、連絡事項の管理までパソコンで行い、締め切り過ぎた学生は赤表示で日時は分刻み、連絡事項の開封状況、教材データのダウンロード状況まで把握可能。完全管理の便利の世の中になったものです。先月の最終授業で「○●君は、レポート三回とも締め切り破ってんだねえ」と言いながら、管理画面をちらっと示すと、自身のみ際立つ真っ赤表示を目視してか、態度の大きかった○●君も、平身低頭で頭を何遍も下げながら帰ってゆきました。本日これにて。
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