物語学の森 Blog版 ゼミジャーナル完成
ゼミジャーナル完成
2016-02-25 Thu 06:57



 校了していたゼミジャーナルの製本が出来たというので、書類を揃え、「特別試験」の成績報告とともに事務室に届けて事務処理終了。来年度の教科書指定も済ませました。このジャーナル(副読本)は予算減額につき履修予定者分のみギリギリ刷りました。

 「特別試験」は、先月の雪の日の試験の欠席者等が対象(ただし、自己申告)。ところが、雪の日の受験者はひとりだったので、残りの二人のことを尋ねてみると、該当学生は申請そのものがなかったとのこと。出席簿を確認すると平常点も優良組だったし、制度の説明は事前にしてあったので、まったく不可解というか、もったいない気がするけれども、新しい先生と6時限目の夜に学ぶのもまたよし、と思い直 しておきます。

 その昔、この手の作成はゼミに担当者をおいて原稿を集め、学内の印刷室で手作りしていました。そこで思い出したのは、万葉某ゼミの「峠」。大学を移ってからは控えておられたようで、先日、「酒席を共にしたことがない」と副学長先生が仰っておられたので吃驚しましたが、若いときはグループで二回発表を終える毎に有志で打ち上げ、という楽しいゼミで、ボクも何度か飛び入り参加しました。ところが、同級生で東MAXのお父さん似の某君が、ゼミ内でなぜか怪物に成長、同級生と恋に落ちたのでさらに混乱に拍車がかかりました。結局、女性のほうは修士課程修了直前、大学教授の息子に乗り換えたので、東MAX.君は未練たらたら、その想いをジャーナル誌に「いとしのミヤ(ミヤは愛称)…」とかなんとか掲載し、先生を「研究誌なんですがね…」と愚痴らせたと聞きました。結局、卒業式の日、先生の音頭で、それぞれの旅立ちを祝って拍手で送られたというエピソードは、故郷で教員になるために帰郷するという挨拶に来た彼女から直接聞きました。東MAX.Jrは大阪よりさらに西国のご出身ですが、なぜか北海道で教員になった由。当時激戦だった院試は数次のチャレンジも叶わなかったけれども、10年ほど前 、教員の再教育制度を利用して、某大学院で学んでいたことを指導教員の先生から知らされ、これまた吃驚したことでした。すでに役職者として活躍しているかも知れず、どこでどうしているのやら(教員だから、調べればある程度消息は分かりますが…教え子さんのブログに登場。やはり濃い先生らしい)。

 1982年の入学当時は臨時定員増(臨定)の時代、定員250で臨定ナシと聞いていましたが、文部省の監督管理も緩かったのか、実際には1クラス60人、7クラスありました。これだけいれば多士済々、いろいろな人生があります。

 ゼミ誌と言えば、河内山清彦先生(1941-1980)もご指導に熱心で、ゼミ誌は他大学にも寄贈していたので、院生時代目を通した記憶があります。38歳、教授在任のまま早世されたとのことですが、時折、短大生のレポートの参考文献『源氏物語の理想的女性 -紫上をめぐって』でお名前を見かけます。池田亀鑑の33回忌法要(1988年12月)でも松尾聡先生がこの先生の早世を惜しんでいたと言う話を、萩谷先生からお聞きしました。遺著となった『紫式部集・紫式部日記の研究』 (桜楓社、1980年)も、時折参照することがあります。
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