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和宮詠草と三瀬川 | 物語学の森 Blog版

和宮詠草と三瀬川


惜しましな君 と民とのためならば 身は武蔵野の 露と消ゆとも (文久元年(1861)十月)
空蝉の 唐織り衣 なにかせん 綾も錦も 君ありてこそ
落ちて行く 身と知りながら もみじばの 人なつかしく こがれこそすれ
哀れぞと 見ませすべ神 ませし世の 御影をだにも 知らぬうき身を
住み慣れし 都路出でて けふいく日 いそぐもつらき 東路の旅 
三瀬川 世にしがらみの なかりせば 君諸共に 渡たらしものを
着るとても 今は甲斐なき 唐ごろも 綾も錦も 君ありてこそ
  みささぎを伏し拝みて(明治三年・父仁孝天皇陵)
袖に置く涙のつゆにうつしませ逢ふがまほしと恋ふる御影を 
  都の春にあへるかしこさを
ことしこそのどけさおぼゆ去年までは春を春とも知らざりし身の (静寛院宮御詠草)


 『源氏物語』講座で「三瀬川」信仰の文献を作る約束をしたのでリストアップ。ただし、平安だけではつまらないので、和宮(1846-1877)の和歌もリストアップ。『静寛院宮御詠草』の翻刻は『女人和歌大系』第三巻(風間書房、1968年)、影印も公開されています。ここに抄出した和歌だけを見ると、婚約者・有栖川熾仁(1835-1895)に対して「三瀬川」を「世にしがらみなかりせば」「君諸共に渡」」りたかったと詠むほどの恋心を胸に抱いて、文字通り、嫌々東に下ったことが知られます。立ち寄った軽井沢宿は莫大な経費がかかり、年貢減免の願いを出したほどの歓待だったようですが、その後の和宮は、短くも平穏な結婚生活を送った模様。
 

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