物語学の森 Blog版 在原業平遠近宮
在原業平遠近宮
2016-01-10 Sun 08:15
  軽井沢借宿の土屋作右衛門家の氏神様は、在原業平遠近宮(ありわらなりひらおちこちぐう)であると言う(「作右衛門口伝」「行田氏文書」)。業平の浅間の煙にちなんでいることは明らかです。「縁起」にも創立年代は不明とありますが、現在の社殿は明和8年(1771)に立てられた(一説/「縁起」には享保年間)とあります。御神体は浅間山、祭神は「岩長姫命 木花開耶姫命 大市姫命」であると言う。富士山信仰の影響が窺えます。

 紹介記事① 紹介記事② 紹介記事③

  むかし、男ありけり。京や住み憂かりけむ、あづまのかたにゆきて住み所もとむとて、ともとする人、ひとりふたりしてゆきけり。信濃の国、浅間の嶽に、けぶりの立つを見て、
 信濃なる 浅間の嶽に たつ煙 をちこち人の 見やはとがめむ    『伊勢物語』初冠本八段


今年に入ってからもすでに二回、脇を通り過ぎていました。下旬に仕事があるので、必ず立ち寄りたいと思います。

 東下り章段には、「浅間の煙(8段)」「隅田川(9段)」「三芳野の里(川越市吉田)(10段)」「野火止(12段)」と中山道(国道254号線)の沿線の話が並びます。その結び目に阿保神社埼玉県児玉郡神川町元阿保)があり、業平東下りの中山道ルートは繋がります(9段では富士山も通過しているので、ルートに諸説あり)。萩谷先生に、阿保親王の皇統迭立、復権のための業平の政治的な行動として武蔵野に下向したと言う「東下り」説があり、この元阿保の存在も根拠の一つになっていました(「日本紀などは片稜ぞかし」「古代文化」42‐6、古代学協会、1990年6月)。

 『伊勢物語』の論としては、内田美由紀氏の解説を参照したところ、以下のようにありました。

伊勢物語(初冠本)では、この第八段で浅間山の煙をみているのに、また東海道に戻って、第九段で八橋でかきづばたをみてから富士山をみて、さらに隅田川を渡っておきながら、第十段や第十二・十三段では武蔵野をうろうろしているし、第十四段で陸奥に到って、「栗原のあねはの松・・・・・・」なんて歌に詠んでいる(宮城県栗原市;中世の歌枕)。第十五段は陸奥の信夫山(福島市)。

 我が家の近所にも『伊勢物語』伝説がたくさんあり、このことはカテゴリー「伊勢物語」を作りました。ご覧下さい。

 
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