物語学の森 Blog版 「にくし」の語感、そしてファミリーヒストリー。
「にくし」の語感、そしてファミリーヒストリー。
2015-12-21 Mon 08:42
 『枕草子』の会のため大塚・日文協事務所へ。「こころづきなきもの」「わびしげに見ゆるもの」「暑げなるもの」のあたり。「にくし」は「心憎し」の場合のみプラスの意味であって、基本はネガティブの場合なのでしょうが、プラス・マイナス愛憎半ばの複雑な語感があるように気がします。

 先週、突如浮上した、我が家の「ファミリーヒストリー」が気になって仕方がありません。NHKの同名の番組は、欠かさず視聴していましたが、自分のまったく知らない前史があったことは驚いています。本来は知っておくべきことなのでしょうが、父が亡くなった時、戸籍の手続きをして父の兄弟には夭折した方も多くて驚きましたが、万平ホテルと関係があることを知ったのは、紅葉見物に行って同ホテルの沿革を見てからという、お粗末さ。ともあれ、学者として生きているのだから、調べられることは調べておこうと思います。検索したら資料館に佐藤家文書のマイクロフイルムがある由、たまげました。この文書紹介によると、以下のようにありました。

佐藤家は、中山道軽井沢宿の名主役で脇本陣を勤め、「亀屋」という屋号で旅篭屋も経営していた。近世の軽井沢宿は中山道浅間三宿の一つとして、追分宿・沓掛宿とともに参勤交代の宿駅として賑わっていたが、明治維新に入り、宿駅としての機能を失うことにより衰微し、多くの旅篭屋が没落し、「亀屋」も苦境に陥った。それが信越線が開通し、外国人などにより避暑地として明治30年代に開発され、今日の軽井沢の繁栄を迎えたのである。「亀屋」も1902(明治35)年には「万平ホテル」として再出発した。


20121101軽井沢の秋
20130825夏休みの映画ふたつ

 「軽井沢/町政施行90周年記念誌/軽井沢町町勢要覧2013」で、歴代の佐藤町長を調べてみました。祖父・艶之助の葬儀の折(1972年2月)に弔問に来て下った方は今朝市郎さんと判明。軽井沢の佐藤家は、町長さんの家と万平ホテルの家とでそれぞれご発展なさっているようです。

2~4代  佐藤直吉 大正13年7月~昭和10年4月
9~11代  佐藤恒雄 昭和21年5月~昭和30年4月
12~14代  佐藤不二男 昭和30年5月~昭和40年3月
15~16代  佐藤今朝市郎 昭和40年4月~昭和47年5月
17~21代  佐藤正人  昭和47年6月~平成2年12月
24~26代 佐藤雅義 平成11月2月~平成23年2月

お暇な方はこちらもどうぞ。


上原家系図

20130814墓参
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