物語学の森 Blog版 幕末・明治の箏曲相伝事情
幕末・明治の箏曲相伝事情
2015-11-11 Wed 07:12
 『日本琴學史』校正中。中に、漱石の『こころ』の57回、小石川の下宿先で、静の習う「琴(こと)」を考証してあります。さらに調べて見ると、先生が大学に入り、小石川に転居したのは、日露戦争(1884-1885)で奥さんが未亡人となり、一周忌か三周忌を終えて、新しい生活を始めた、明治30年(1887)の話であるとのこと。当時は、箏曲が一般家庭の習い事として普及する時期とは齟齬するから、「朝日新聞」初出の百年前のルビはともかく、「箏」ではなく「琴(きん)」であろうという見通しです。

 先日始まった『あさが来た』でも、幕末編で、主人公姉妹が箏を合奏する場面がありました。実際は手パクのようですが、曲は八橋検校の『六段の調』。
 ただし、江戸時代は、検校による当道制の相伝。晴眼者が当道座で、検校から箏を習っていたことになりますが、その師匠は描かれません。明治維新以後、当道制が廃止され、上方の生田流が大阪で盛んとなったのが明治半ば、東京の山田流を刺激して、今の二大流派が形成されたと言うのが、大筋の歴史。宮城道雄(1884-1956)の登場で、近代の筝学史が始まります。
 となると、箏・三味線、胡弓の三曲のうち、特にわかりやすいのは、谷崎潤一郎『春琴抄』「中央公論」1933(昭和 8年)6月。こちらは三味線の相承ですが、 春琴は9歳で失明、佐助が鵙屋に奉公したのはこの年、時は天保8年(1837)。佐助13歳、春琴とは四歳違い。その翌年、春琴のお供は佐助となり、仕え続けます。春琴は明治19年10月14日、脚気により56歳で死去。佐助は21年後、明治40年10月14日、83歳で死去。まさに、当道制の時代の物語として描かれています。

 箏曲の歴史は座右の書、
  三谷陽子『東アジア琴・箏の研究』全音楽譜出版社、1980年
 に「琴」「箏」「新羅琴」の古代から近代に致る悉皆調査がありますので、ご照会下さい。 
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