物語学の森 Blog版 バイパスコースの意地
バイパスコースの意地
2015-10-12 Mon 08:08
 ノーベル生理学・医学賞の歴史を調べて見ると、第一回の北里柴三郎のみならず、野口英世も三度候補になっていたとされています。北里は、東京医学校(東大医学部)卒業後、ドイツに留学してコッホに師事、日本の近代医学の礎を築いた人。野口英世の才能を見出した北里の慧眼もさりながら、全くのノンキャリアにも差別しなかったところに興味があります。野口は、猪苗代高等小学校を終えた後、左手の火傷跡の整形手術をしてくれた渡部鼎の友人、血脇守之助(東京歯科大学創立者のひとり)の援助を受けつつ独学で医術開業試験の前期試験(筆記試験)に合格、ただし、後期試験(臨床試験)は臨床診断を必要とするため、予備校である済生学舎(現・日本医科大学)で学び、21歳で試験に合格した由。このまま臨床医となっても安定した生活が保証されたでしょうが、左手を人に見られたくないとのことで、研究医を目指します。ただし、本人の金銭感覚のなさや放蕩癖もあり、キャリアの問題も大きく、日本では行く先々で学閥の壁につき当たり、アメリカを目指すと言う、日本人の大好きな、下克上的な物語、貧しい生い立ちから立身出世を驀進する伝記的人物の典型となっていきます。
 60、70年代はどこの小学校にもあった偉人伝、かのベーブルースも手の付けられない暴れん坊としてその生い立ちが描き出されていたし、『巨人の星』の星飛雄馬、『明日のジョー』の矢吹丈も少年時代は似たようなアウトロー的要素があります。昭和の高度経済成長と立身出世の物語が、我々の世代には刷り込まれていたと言えるかも知れません。

 さて、数年前、かの池田亀鑑が師範学校出身で、旧制高校を卒業していないのだから東京帝国大学本科には入学資格がなかった。ならば選科「修了」となる旨を記していた方があったようです。長野嘗一や弟の池田皓の評伝に、1922年、女子学習院助教授をしながら、同年、東京帝国大学本科入学資格試験に合格し、大学本科の入学を果たしたことが複数回記されてありますから、知る人ぞしるバイパスコースから本流を手繰り寄せたわけですが、このバイパスコースはその後も池田亀鑑のキャリアにとって高い壁となっていたことは、史学の坂本太郎の回顧録にも記されている由。このように見てくると、「エリート」なる者、若くして激戦を勝ち抜いたことを周囲に自慢したい蛸壺の主たち、そして性格悪い人の集団としか思えませんが、もちろん、総ての人がこのような考えの人ばかりではない。すでに大学院は指導教授の実力で勢力図が大きく変動する時代となった今、研究力、教育力とは必ずしも比例しない、古い「生え抜き」「エリート意識」に固執していたら、むしろ生き残れない、そのことは確かでしょう。


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