物語学の森 Blog版 荷風『断腸亭日乗』の永井智子
荷風『断腸亭日乗』の永井智子
2015-10-05 Mon 08:18
 永井路子先生の生い立ち、ご本人も書き記しておられますが、都市伝説もいくつか。例えば、永井荷風の娘説、作家初期に川端康成に名前を借りて原稿料を得ていた、等々。いずれも根拠のない噂だと否定しておられます。

 実母の永井智子(1908-1992)はアルト歌手。最初の夫・来島清徳との間に生まれた子が擴子(筆名・路子)、生後すぐに母の実家に養女となる。来島とは間もなく死別、画家田中某と再婚。
 昭和13年(1938)5月17日より10日間、永井荷風 ・ 菅原明朗のオペラ「葛飾情話」で主役をつとめ、菅原とはそれぞれの家庭を捨てて暮らし始める(今で言う事実婚)。以降、荷風の『断腸亭日乗』には頻繁に登場。とりわけ、昭和20年3月の東京大空襲で荷風が焼け出されてのちは、食事の世話のみならず、菅原の地元である明石、ついで岡山へと荷風を連れて行動し、終戦の日を迎える。ところが、荷風は三人で東京に帰るという約束を反故にして、8月29日に帰京。以後、疎遠となった由。

 黒板先生は、永井先生と知り合う前、帰京した夫妻と面識があったことを記しています。智子は1948年、菅原との間に一女を儲ける。この方には、ボクも一度だけお会いしたことがあります。菅原とは昭和40年代に離別。以後は声楽家として後進を指導していたようです。
 かくして、巷間の都市伝説、荷風と智子は、同姓ではありながら、血縁関係がないこと、ここにも書き記します。



 
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