物語学の森 Blog版 日本の琴の相承の型。
日本の琴の相承の型。
2015-08-25 Tue 07:42
 我が国の唐琴が法隆寺や東大寺正倉院に伝来したことは、天皇ゆかりの南都の寺院であるうえに、『令』巻三「僧尼令」にも、弾琴が僧侶にも公認されていたことから、これが必然的な経緯にあったことが知られます。

 十 凡そ僧尼、音楽を作し、及び博戯せらば、百日苦役。碁琴は制する限りに在ず。

 平安時代は、後宮文化に取れ入れられたために重明親王、斎宮女御徽子女王のように、父子間で継承され、かつ女性の弾琴が物語のみならず確認されます。女性と言えば『枕草子』にも

 村上の御時に、宣耀殿の女御と聞こえけるは、小一條の左大臣殿の御女におはしけると、誰かは知り奉らざらむ。まだ姫君と聞こえける時、父大臣の教へ聞こえ給ひけることは、
 『一つには、御手を習ひ給へ。次には、琴の御琴を、人よりことに弾きまさらむとおぼせ。さては、古今の歌二十巻を皆うかべさせ給ふを、御学問にはせさせ給へ。』
 
とあるとおり、后がねの姫君の必須の教養となっています。

 ところが、五山の時代のなると、禅僧はそもそも家族、係累との関係がないので、「相承」そのものが存在しない。文人としての教養となっていることが分かります。さらに、江戸時代に入ると中国からの亡命僧・東皐心越以降は、人見竹洞、杉浦琴川、小田川東川と一番弟子に継承されていたところ、東川の時代に宗匠化し、東川四天王がそれぞれ門人を抱えて隆盛、「相伝の論理」が瓦解したと言う時代的変遷を辿ります(以下、未定稿)。


心越琴派相承主要人物略系図

石川丈山―沢田宗堅
 朱舜水┘            
東皐心越―人見竹洞

―杉浦琴川―小野田東川― 多紀藍渓―浦上玉堂―田中大秀
          ├ 幸田子泉―佐久間象山
          │    └ 梁川星厳・紅蘭 
          ├ 設楽純如―田上菊舎尼
          └ 杉浦梅岳―鳥海幸堂―妻鹿友樵
 (東川門下四天王)
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