物語学の森 Blog版 すだの渡-隅田川なる入間川
すだの渡-隅田川なる入間川
2015-05-10 Sun 08:22
1590以前の河川
  『とはずがたり』巻四の「賤(しづ)がことわざ」の「隅田川」に関するテクストを再度検討。

「この橋をばすだの橋と申し侍る。昔は橋なくて、渡し船にて 人を渡しけるも、煩はしくとて橋出(い)できて侍る。隅田川などはやさしきことに申しおきけるにや。賤がことわざには、すだ川の橋とぞ申し侍る。 この川の向へをば、昔は三芳野の里と申しけるが、賤が刈り乾す稲と申すものに、実の入らぬところにて侍りけるを、時の国司、里の名を尋ねききて、ことわりなりけりとて、吉田の里と名を改められて後、稲うるはしく実も入り侍る。」

 三角洋一校注『新大系』187頁を引きます。
○隅田川原-隅田川の川原。入間川(現荒川)の下流で、東京湾に注ぐ。伊勢物語九段の、昔男の東下りの話で有名な歌枕。
○すだの橋-隅田(川)の古名。夫木和歌抄二十六・渡に須田の渡しを詠む二首が載る。
○三芳野の里-現、川越市的場とか、坂戸市横沼とか言うが、もっ広い地域を指したか。伊勢物語十段(以下、略)。
○ことはりなりけり-三芳野が「野」では「身良し」という美称が冠せられるはずがなく、「あし(葦)」が「よし」と言われたことから類推して、実悪しき野と解したものか。
○吉田の里-現・川越市吉田。「田」の美称で「吉田」となる。

 校注者から高校時代、次田先生に習ったことがあり、卒業論文も『とはずがたり』だったとお聞きしたことがあります。次田先生の『全訳注』は、現在の坂戸市横沼あたりの市南東部にあった「旧・三芳野村」を現在の「三芳町」としておられますが、これは完全な誤り。また、「入間川」と「隅田川」の歴史的関係についても、江戸時代以降の解釈を敷衍して考えておられますが、これは、『新大系』によって克服されたと思われます。

 定家本『更級日記』の「あすだ川」はこの「すだの渡」の先蹤なのでしょうが、「武蔵と相模との中にゐて、あすだ川といふ、在五中将の「いざこと問はむ」と詠みける渡りなり。中将の集にはすみだ川とあり。舟にて渡りぬれば、相模の国になりぬ。」とある、「武蔵と相模との中」は地理的には説明つかず、「武蔵と下総」の境とされる「太日川(現在の江戸川)」とも書き込まれてあり、河川と地名・地理の問題については、「混乱」「意図的操作」など、諸説あることはよく知られています。
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