物語学の森 Blog版 『とはずがたり』のみよし野
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このBlogは、私が物語研究の途上で出会った様々な発見や、物語をともに学ぶ人々との出逢いを綴ったものです。ごらんのみなさんにも物語文学の深遠なる森の如き世界の一端をお知りいただければ幸いです。
『とはずがたり』のみよし野
 川越市立博物館の企画展、「古代入間郡の役所と道」を熟覧。この地は古代交通史的に東山道武蔵路と鎌倉街道、さらに入間川の結節点であることから、『伊勢物語』の「みよし野」も、『とはずがたり』巻四の叙述によって、川越市大字吉田を「三芳野の里」と規定していることを知る。『とはずがたり』は、大学院で注釈書刊行中の次田香澄先生のご講義を受けていたのにすっかり失念していました。情けなや。




 <さても、隅田川原近きほどにや>と思ふも、いと大きなる橋の、清水・祗園の橋のていなるを渡るに、きたなげなき男二人逢ひたり。「このわたりに隅田川といふ川の侍るなるは、いづくぞ」と問へば、
 「これなんその川なり。この橋をばすだの橋と申し侍る。昔は橋なくて、渡し船にて 人を渡しけるも、煩はしくとて橋出(い)できて侍る。隅田川などはやさしきことに申しおきけるにや。賤がことわざには、すだ川の橋とぞ申し侍る。 この川の向へをば、昔は三芳野の里と申しけるが、賤が刈り乾す稲と申すものに、実の入らぬところにて侍りけるを、時の国司、里の名を尋ねききて、『ことわりなりけり』とて、吉田の里と名を改められて後、稲うるはしく実も入り侍る
 など語れば、業平の中将、都鳥に言問ひけるも思ひ出でられて、鳥だに見えねば、

 たづね来し かひこそなけれ 隅田川 すみけん鳥の 跡だにもなし
 
 久保田淳校注の『新編全集』は『完訳』と同じく、「『伊勢物語』十段に「すむ所なむ入間の郡、みよし野の里なりける」と語られる三芳野の里か。現、埼玉県坂戸市横沼」とする。この地には市立の三芳野小学校があります。これは以前紹介した一説を参照したもの。史学に言われる川越市大字吉田は、霞ヶ関駅、的場駅の西北部あたり 、ここは今回の企画展のきっかけとなった霞ヶ関遺跡(川越市上戸新町の入間川と小畔川に挟まれた地)、すなわち古代の役所、郡家(ぐうけ)があり、右対岸には『伊勢物語』の和歌にちなむ旧・田面沢村と呼ばれた地域。この周辺にも古墳があって、もうひとつの有力豪族「大家」も存在したとされ、 「父はなほ人にて、母なむ藤原なりける」は、まったく根拠のない言説ではないようです。

 また、次田香澄先生は『とはずがたり』の「解説」で「埼玉県はすでに江戸期に川の流路も大きく変り、今では衛星都市化してめざましい発展を遂げつつある地域であるから、古い由緒ある土地も、その現状を突き止めることはむつかしい。地名でさえ統廃合を繰返し、文学遺跡のある地名も消えてしまうのは残念である。ちなみに現在の三芳野はずっと上流にあり、この辺の記述は、作者の記憶の混乱もあるかもしれない。また、入間川はもっと下流までの名であった可能性もある」と指摘しておられました。これもまた、再度、勉強し直します。

2015-05-07 Thu 07:46
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