物語学の森 Blog版 小説家・池田亀鑑の始まり
小説家・池田亀鑑の始まり
2015-05-01 Fri 08:14
 池田亀鑑が小説を書き始めたきっかけは、鳥取師範、日野郡溝口小学校訓導時代の数次に渉る「日本少年」への投稿だったようで、文才に注目した主筆の有本芳水が「少女の友」を編集していた岩下小葉にこの青年の話を伝えたところ、東京高等師範学校二年次(24歳-大正8年8月)には第一作の発表となったとのこと(長野嘗一「小説家・池田亀鑑」一、二)。以後、「諸国物語」の連載を得て、15年あまり、ほぼ継続的に小説を書き、「友ちゃん会」なる全国規模の愛読者交流会にも小葉とともに参加していたようです。今で言えば、「握手会」とでも言うべきスタイルで、講談社の「少年倶楽部」が作家主体の雑誌であるのに対抗し、実業之日本社は編集者が作家でもあるというスタイルで読者を獲得していたことは出版界ではよく知られた話。小葉のお嬢さんである恵美子さんも当初は読者モデルとして、小葉没後は翻訳作家として活躍していたことは、『『少女の友』創刊100周年記念号 明治・大正・昭和ベストセレクション』に詳しい。

 池田亀鑑は、公私ともに小葉と懇意となり、千駄ヶ谷にあった自宅にも出入りしているうち、小葉の妻・律の実妹・房(帝国女子専門学校(現在の相模女子大学)在学中)と大正10年頃には知り合い、大正13年4月に結婚しています。その間、大正11年に女子学習院に奉職したものの、東京帝国大学本科入学資格試験を受けて一年で退職、東大に進学し、房夫人も結婚後、日本女子大学に転学、その学費も夫が負担とあります。
 実業之日本社社員となったのは、長野氏によると昭和2年から5年の間(『実業之日本社百年史』(1997年)によると大正から昭和初年にかけてとある)、それ以後も小説は執筆していますが、小葉の突然の死(昭和8年4月)と時を同じくして、その年を以て小説の筆を折っています。この間、日南町から上京した大江賢次も実業之日本社に入社させ、作家としての修行をさせていました。その後、「少女の友」の編集長は、内山基となり、中原淳一の挿し絵もあいまって、さらに飛躍的に読者を獲得するに至ります。
 
 よく著作に揮毫を求められると『徒然草』百八十八段の一節「万事に代へずしては、一の大事成るべからず」を揮毫していたようですが、まさにこれを実践し、以後、古典の文献批判と言う畢生の為事に邁進したことは記すまでもありません。
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