物語学の森 Blog版 兼好の「換骨奪胎」
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このBlogは、私が物語研究の途上で出会った様々な発見や、物語をともに学ぶ人々との出逢いを綴ったものです。ごらんのみなさんにも物語文学の深遠なる森の如き世界の一端をお知りいただければ幸いです。
兼好の「換骨奪胎」
 秋分の日も古典を話しました。 『徒然草』169段

何事の式といふ事は、後嵯峨の御代までは言はざりけるを、近きほどより言ふ詞なり」と人の申し侍りしに、建礼門院の右京大夫、後鳥羽院の御位の後、また内裏住みしたる事を言ふに、「世の式も変りたる事はなきにも」と書きたり。

 『建礼門院右京大夫集』

思ひのほかに、年経てのち、また九重のうちを見し身の契り、かへすがへす定めなく、わが心のうちも、すぞろはし。藤壺の方ざまなど見るにも、昔住みなれしことのみ思ひ出でられて悲しきに、御しつらひも、世のけしきも、変りたることなきに、ただわが心の内ばかり、砕けまさる悲しさ。月の隈なきをながめて覚えぬこともなく、かき暗さるる。

今はただ しひて忘るる いにしへを 思ひ出でよと 澄める月影(家集323)

 『徒然草』は「式」に関する話ですが、引用された『建礼門院右京大夫集』は、恋人資盛の死の報に接し、かつての時子後宮の栄華を偲びつつ過ごす追憶の記述で、大きく世界観、悲壮感も異なります。諸本には無窮会本に「よのしき」とあるものの、傍記に『徒然草』当該箇所が引かれている由。正徹本「此段みせけち也。私書之」。
「勘違い」というには合理性がなく、「改竄」とも呼びたくなりますが、まあ「換骨奪胎」と説明してみました。そもそも引用とは、物語文学の場合、その世界観を投影するものであるはずですが、その論理が徹底されているわけもなく、著作権などもない時代の言説編成、これもおもしろい。

○後嵯峨の御代(在位12242~1246年)。
○ 建礼門院の右京大夫 建礼門院は平清盛の娘で高倉天皇の中宮となった平徳子。右京大夫は、徳子に仕えた女房。世尊寺(藤原)伊行の娘。「世の式も変りたる事はなきにも」は『建礼門院右京大夫集』に記述によるとあるが、実際には「世のけしきも変はりたることはなきに」。本書の成立は、天福元年(1233年)頃、『新勅撰集』撰進に際して藤原定家に選考歌の提出を求められたところ、自身の詠歌を纏めたもの。定家との贈答歌で閉じられる構成となっている。元暦元年(1184年)、西国にいる資盛へ消息を遣わしたところ、翌春、その入水を知ることとなり、入水したものの、助けられて西海から大原に隠棲した建礼門院を尋ね、その変わり果てた姿に「今や夢昔や夢と迷はれていかに思へどうつつとぞなき」と詠んでいる。
○後鳥羽院(在位1183 ~1189)
2014-09-24 Wed 06:26
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