物語学の森 Blog版 疫痢の悲嘆
疫痢の悲嘆
2014-09-07 Sun 09:08
  引き続き、『花を折る』より。塩田良平のことを綴った文章から。
 
 二十年近くもならうか、疫痢で四歳になる子をうしなつた時、この悪友は、悪筆を呵し、観音経一巻を書寫、亡児の霊前に手向けてくれた。その奥書に、いともおぼつかなき悪文ながら、「君の悲傷見るにしのびず、連日未明に起きて、観音経一巻を書寫し、もって傷心をなぐさめんとす。君、願はくば、微意をうけよ」といふやうな一文がそへてあつた。悪友にしてはじめてなしうる誠実さといふものであらう。悪友はいつも利害の外にゐるものである。(毎日新聞、29、6、23)

 池田家でも次男・研二の夭折は悲痛の極みで話題とすることがタブーだったようですが、日本近代文学館館報(第246号、2012年3月15日)「館蔵資料から=未発表資料紹介 佐佐木信綱宛書簡(三)池田亀鑑」に翻刻された書簡では触れられています。

  (8)(不明)年4月25日(封書、墨書、巻紙、使い便、冒頭部の影印掲載

 内容から、昭和11年4月25日に他界した亀鑑の母「とら」の一周忌の命日である昭和12年4月25日、次男「研二」の三回忌と合同で法要を営んだ報告と香典返しが届けられたものと判明します。各種年譜を調べれば年次は特定できたはずです。次男の命日は昭和十年五月四日。上述のように急性の疫痢で突然の他界だったようです。その年の8月に生まれた三男にも「研二」と名付け、研二先生はいわば生まれかわりの家族となった方。
  『花子とアン』もほぼ忠実に五歳の道雄の夭折を再現していましたが、この時代の「疫痢」、抵抗力の弱い、幼い子供の命をどれほど奪ったのか、塩田良平、佐佐木信綱にも手厚く供養されるほどの親の心痛、残された記録からでも悲痛の極みが伝わってきます。


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(2011/08/28)
村岡 恵理

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