物語学の森 Blog版 学説史と客観性
学説史と客観性
2014-08-25 Mon 07:57
 いったん擱筆した論文ではあるものの、長くなったのでふたつに分割、別の雑誌に載せてもらうこととします。分割の過程で気になったのは、『紫式部日記』の御冊子作りの記事が、『源氏物語』ではないとする説。最近では西の研究者から相次いで発信されていますが、学説に地域性があるって、なんか変じゃありません?

 局に物語の本ども取りにやりて隠しおきたるを、御前にあるほどに、やをらおはしまいて、あさらせたまひて、みな内侍の督の殿にたてまつりたまひてけり。よろしう書きかへたりしはみなひき失ひて、心もとなき名をぞとりはべりけむかし。

 この「物語」を『源氏物語』と特定したのは、池田亀鑑で、『源氏物語大成』には、『源氏物語』諸本の起源に草稿本と浄書本、献呈本があったことを前提に立論されています。浄書本には手控えのものと献呈本(これも二セットずつ)があって、「三種五セット」が存在したことになっていました。阿部秋生の長編論文「別本の本文」『源氏物語の本文』(岩波書店、1986年)もこのことと、別本諸本の本文伝播とを検証し、それがどうにも論証できない過程を報告した労作でした。
 確かに、「物語」としか書いてないので、紫式部が他にも物語を書いていたのかもしれませんが、『源氏の物語』を一条天皇の前で朗読していたくだり、『源氏の物語』を前に感慨に耽るくだりとがあれば、蓋然性が高いことは疑えない。「確言できない」と言うことに留まろうかと思います。学問の客観性は、「装う」こともあるということ、論述試験に「満点」がつかないことに似ているような気もします。このあたり、加藤さんの近著の論証は押さえておく必要があるようです。



『源氏物語』前後左右『源氏物語』前後左右
(2014/05/29)
加藤昌嘉

商品詳細を見る


別窓 | 源氏物語の巻 | コメント:0 | トラックバック:0 | top↑
<<『少女の友』実業之日本社、昭和22年12月号 | 物語学の森 Blog版 | 傳能因所持本『枕草子』と鶯塚>>
 
 
 
 
 
 
  管理者だけに閲覧
 

トラックバックURL

FC2ブログユーザー専用トラックバックURLはこちら
| 物語学の森 Blog版 |