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傳能因所持本『枕草子』と鶯塚 | 物語学の森 Blog版

傳能因所持本『枕草子』と鶯塚

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 先日訪ねた若草山山頂は『枕草子』ゆかりの地。ただし、記憶が曖昧だったのは、諸注本文異同がある上、解釈も割れていたからなのでした。
三巻本『枕草子』校訂本文の代表格『新潮古典集成』を掲げます。

 陵(みささぎ)は、
   小栗栖(をぐるす)の陵(みささぎ)、
    柏木の陵(みささぎ)、
      雨の陵(みささぎ)。
頭注は「これまた陵墓三幅対の連想。
○三巻本に「うくるす」とあるのは、「を(乎)」「う(宇)」の字体相似の本文転化と見て、山城国宇治郡の木幡に、醍醐皇后の藤原穏子の宇治陵、村上皇后藤原安子の中宇治陵を始め、冬嗣の赤塚、基経の狐塚、時平の三十番神塚等、藤原氏歴代にゆかりの陵塚が集中しているのを取り上げたと考える。或は、能因本の「うぐひす」に従って、『大和志』にいう鶯山山頂にある仁徳皇后磐之媛命の平城坂上墓を考えるべきか
○奈良市の西南に大字柏木があり、五万分の一の地図には標高60.4メートルの古墳が印されている。いわゆる「柏木の杜」である。能因本は「かしは原」と改訂して、諸注は桓武天皇の柏原陵を建てている。
○小来栖の柞原→佐保山の柞の森→平城左京の柏木の杜→雨の森(漏り)の縁で、雨の陵が引き出されたか。諸注は「天の陵」として天智陵や聖武陵を当てる。」

 ところが、傳能因所持本となると、『完訳日本の古典』では、

  みささぎは、うぐひすのみささぎ、かしは原のみささぎ、あめのみささぎ。

 とあって、「鶯の陵は大阪府百舌鳥の仁徳陵の別名説などあるが未詳。柏原の陵は京都市伏見区の桓武柏原陵か。あめ(天・雨)の陵は未詳」と注記があります。

 小来栖、伏見の柏原陵も三年前の宇治行で通りました。京の人にもこちらのほうが土地勘はあるでしょう。ただし、心情的には、『集成』二案(傍線部)を起点に奈良の陵墓「鶯塚」から柏原、近隣する「天智・聖武」御陵の三幅対の連想と考えたいところです。



 奈良市柏木町の古墳についての情報は、ほんのわずか。むしろ、この地なら大安寺東北境内の杉山古墳が有名のようで、わずかに「古墳はこの外にも、もと大安寺村であった柏木団地の西側にも、六世紀頃といわれる竪穴式古墳もあるそうで、この地には奈良時代以前の昔から人々が住み、かなりの豪族もいたことが偲ばれる。」とあるのみ。このあたり、宿の目と鼻の先に開化天皇陵もありました。さらに調べてみます。

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