物語学の森 Blog版 巧い奏者の出てこない話
巧い奏者の出てこない話
2014-08-09 Sat 06:33
 漱石の初期の短編『一夜』にも、「旨くない」琴の演奏が出てきます。尺八と合奏となると平安朝・仁明朝前後に幾度か行われた楽制改革以前には「七絃琴」と「尺八」の組み合わせはあるものの、明治38年と注記のあるこの小説では、楽器の組み合わせからすると、この「琴」は「箏」ということになろうかと思います。箏曲の流派がそれなりのステータスを確立した頃に重なりますが、、その実体は、結局、判然としません。まずは、本文を引きます。
 
「灰が湿めっているのか知らん」と女が蚊遣筒を引き寄せて蓋をとると、赤い絹糸で括りつけた蚊遣灰が燻りながらふらふらと揺れる。東隣で琴と尺八を合せる音が紫陽花の茂みを洩れて手にとるように聞え出す。すかして見ると明け放ちたる座敷の灯さえちらちら見える。
どうかな」と一人が云うと「人並じゃ」と一人が答える。女ばかりは黙っている。

 「蟰蛸懸不揺、篆煙遶竹梁」
 と誦して髯ある男も、見ているままで払わんともせぬ。蜘蛛も動かぬ。ただ風吹く毎に少しくゆれるのみである。

「その画にかいた美人が?」と女がまた話を戻す。
「波さえ音もなき朧月夜に、ふと影がさしたと思えばいつの間にか動き出す。長く連らなる廻廊を飛ぶにもあらず、踏むにもあらず、ただ影のままにて動く」
「顔は」と髯なしが尋ねる時、再び東隣りの合奏が聞え出す一曲は疾くにやんで新たなる一曲を始めたと見える。あまり旨くはない
「蜜を含んで針を吹く」と一人が評すると
「ビステキの化石を食わせるぞ」と一人が云う。
「造り花なら蘭麝でも焚き込めばなるまい」これは女の申し分だ。三人が三様さの解釈をしたが、三様共すこぶる解しにくい。
「珊瑚の枝は海の底、薬を飲んで毒を吐く軽薄の児」と言いかけて吾に帰りたる髯が「それそれ。合奏より夢の続きが肝心じゃ。――画から抜けだした女の顔は……」とばかりで口ごもる。 
                                                     (三十八年七月二十六日)

 髭を蓄えた男、丸顔の男、そして女の三人の物語。髭の男の「夢の中の画」の物語と隣の合奏という現実世界とが視覚と聴覚から緩慢なプロットを引き締めています。夏の湿気の多い世界に、蚊遣灰、そして香、物語そのものが琴画の世界と言ってもよい空間となっているものの、ただし、巧みな奏者は出てこない。こういう法則性は見つけました。

 この小説に自作の漢詩「蟰蛸懸不揺、篆煙遶竹梁」の引用がありますが、これは「素琴」、すなわち、七絃の琴詩を読んでいたことになります。
  春日静座
青春二三月   青春二三月
愁随芳草長   愁は芳草に随って長し
閑花落空庭   閑花空庭に落ち
素琴横虚空   素琴を虚空に横たう
蟰蛸挂不動   蟰蛸挂って動かず
篆烟繞竹梁   篆烟竹梁を繞る

独坐無隻語   独り坐して隻語無く
方寸認微光   方寸に微光を認む
人間徒多事   人間徒らに多事
此境孰可忘   此の境孰れか忘るべけむ
会得一日静   会たま一日の静を得て
正知百年忙   正に知る百年の忙
遐懐寄何処   遐懐何れの処にか寄せむ
緬邈白雲郷   緬邈たり白雲の郷
  明治三十一年(一八九八)三月

 要は、漱石先生、文人画的世界を描こうとしていたことは確かですが、その「琴の音」が箏のことであろうが、七絃琴であろうが、拘泥していなかった、ただし「旨くな」い音であればよかった、ということになるのでしょうか。


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