物語学の森 Blog版 大島本『源氏物語』の佐渡時代保有者は千利休の末裔か。
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大島本『源氏物語』の佐渡時代保有者は千利休の末裔か。
2010-11-05 Fri 13:38
物語研究会11月例会

佐渡の大島本『源氏物語』のことなど       
                               坂口昭一・上原作和


  従来、大島本『源氏物語』は昭和5.6年頃、佐渡の某家から突如出現し、池田亀鑑(1886-1956)が自らのパトロンにしていた三井合名理事・大島雅太郎(1868-1948)の青谿書屋に収められたとのみ伝えられてきた。以後、『校異源氏物語』(1942)『源氏物語大成』(1953-1956、いずれも中央公論社)の主要底本となり、現在の源氏研究においても不動の有用性を保持している。
 ところが、最近、この伝本に関する、新たな情報が提供された。それは、1933年(昭和8年)ころ、紀州徳川家の南葵文庫主事を務めた文献学者の高木文のところに山本悌二郎(1870-1937、元農林大臣、衆議院議員、三島由紀夫『宴のあと』のモデルで元外務大臣・有田八郎の兄)らの紹介状を持って、佐渡の「田中とみ」なる女性が、伝飛鳥井雅康筆源氏物語53帖を売りたいと尋ねてきたと言うのである。この情報を佐渡の郷土史に照らしてみると、この「田中」家について、いくつかの候補が浮上する。とりわけ、興味深いのは、千利休の四男を自称する、医師「田中宗忠・穂積」一統である(千家は本来「新田里見流田中氏」)。これらの歴史的背景と、現行の形態論である「吉見正頼の所蔵であったときに毛利と尼子の和議調停に奔走したことで知られる聖護院第25代門跡である道増(1508-1571)とその甥道澄(1544-1608)が、永禄7年(1564)、長府に来た際、正頼の依頼により桐壺の巻と夢浮橋の巻が加えられた」とする学説、もしくは、佐々木孝浩による「一部の大島本に見える「宮河」なる印の有無と綴穴の多寡が相関性を有することから、複数の祐筆によって雅康本を書写したものであり、大島本は、後にこれらを合綴した写本群の謂いである」と言う見解との整合性、および、ほぼ全帖にわたって異なる時期の異なる人物によると見られる夥しい見セケチ・抹消・訂正・補入といった大量の補訂作業の痕跡が存在している書誌学的課題、これら大島本未解決の諸問題に関して、本報告は、大胆な仮説を提示したいと目論むものである。

くわえて、松栄家本54帖、堀家旧蔵本 伝里村紹巴天正14年書写60帖(含、雲隠六帖、源氏系図)の二つの書誌にも触れたい。

参考文献
 高木文「賜架書屋随筆」『書物展望』第5巻第8号(通号第50号)、書物展望社、1935年(昭和10年)8月、p.126-129。
池田亀鑑「大島本源氏物語の伝来とその学術的価値」『源氏物語大成 研究篇』(中央公論社、1953(昭和31年))
藤本孝一.佐々木孝浩.加藤洋介.片桐洋一.加藤昌嘉.中古文学会関西部会(編)『大島本源氏物語の再検討』(和泉書院、2009年(平成21年))
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