物語学の森 Blog版 2017年09月
田中亮一・田中とみ覚書
2017-09-30 Sat 08:39
佐渡全図1954 佐渡全図 昭和28年

佐渡中心部地図 

 『新穂村文化の先達』(川上三吉編著 昭和62年)
田中亮一

 舟下、県会議員、農会長をつとめる。昭和の初期、田中氏の蔵書を全部(約三千冊)新穂文庫に寄贈し、田中文庫と、呼称していたが戦後新穂公民館が建設され新穂図書館が新設された時合併し、現在の図書館となった。没年不詳なるも、昭和十二年頃と云われる。
 殿守りの朝清めする袖にさへ匂ひみちたる園の梅が香
 祝五五寿雅
  四濱浪静起謡声 松籟共和唱寿栄
  即是阿兄五五宴 重歌万歳心成名
 つむ雪ににほひこぼるる梅の花さきかけて祝ふ君のことぶき (川上久敬蔵)

田中トミ
田中亮一の妻。武井、田辺家の出、主人亮一を助け、県会その他に主人が活動の内助の傍ら、婦人会の幹部とし婦人会運動に一生を捧げた。大正七年(1918)35才副会長、大正13年会長、大正15年佐渡郡婦人会婦人部副会長をつとめ、県連合会の役員を歴任した。尚その役員となるや生活改善、風俗改良運動を提唱し、率先実行した功績は、大なるものがあった。昭和三十五年七月一日没、行年七十七歳
 千早ふる神代ながらのかわかみにすみ渡るべき末は幾千代 田中とみ子

 注記 川上久敬氏(1902-?)は、新穂村教育長、朱鷺保護活動の尽力で勲五等瑞宝章。旧制佐渡中学を大正8年(1918)年卒業。「五五宴」を久敬55歳(昭和32年)とすると、亮一は没しているので、久敬の父の55歳を言祝いだものか。

 政治家としての田中亮一は以下のようにあり、県会議員を務め(第十五回当選)、のちに衆議院議員に挑戦したもようである。

 『佐渡政党史稿』(斎藤長三著・風間進刊行)
新穂村 ・明4、佐渡毎日新聞社[三十五年七月十三日]・明4、第十五回選挙[四十年九月]・明4、第十六回選挙[四十四年九月二十五日]・大1、第十七回縣會議員選挙[四年九月二十五日]・大1、野澤卯市中蒲原郡より選出さる[四年九月二十五日]・大1、第十三回衆議院議員選挙[六年四月二十日]・大2、政友倶楽部の春季大会[七年八月二十七日]
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もうひとりの佐渡女性・田中とみ
2017-09-29 Fri 00:01
田中とみ

1933年(昭和8年)ころ、紀州徳川家南葵文庫主事を務めた文献学者の高木文のところに佐渡出身の政治家山本悌二郎、前田米蔵、山東誠三郎らの紹介状を持って、佐渡の「田中とみ」なる女性が『源氏物語』の写本を売りたいと尋ねてきたという( 高木文「賜架書屋随筆」『書物展望』第5巻第8号(通号第50号)、書物展望社、1935年(昭和10年)8月、p. 126-129)。このことは拙文「佐渡時代の大島本『源氏物語』と桃園文庫」(『光源氏物語傳來史』武蔵野書院、2011年(平成23年)11月、p…142-161)に、金井村貝塚田中家に同居していた「とみ」氏と推定したところ。この田中家は、江戸時代、佐渡に奉行代官として越左してきた相川の田中氏ではなく、千利休四男宗弘一統として、弘治二年(1556)、織田信長、豊臣秀吉の時代、佐渡国仲にやってきた田中氏であるとされる(拙著『光源氏物語傳來史』参照)。

 ところが、最近、もうひとり、貝塚の隣村・新穂村にも、婦人運動家の田中とみ氏(旧新穂村武井、旧姓・田辺、1883-1960)がいたことが判明。夫・亮一(旧新穂村舟下 ?-1937?)は明治大正時代の県会議員。こちらのとみは、昭和初頭、蔵書・田中文庫(全3000冊)を新穂図書館に寄贈したという『新穂村文化の先達』(川上三吉編著 昭和62年)。現在も佐渡市立図書館新穂図書室に、芳賀矢一・佐佐木信綱『謡曲大観』(博文館、1914年(大正3年))など、大正時代の刊行物の蔵書が確認される。また、田中文庫に関しては『新穂村史』「資料編」「4、村内の近世及び近代(明治年代)の蔵書調」に、新穂村内の漢籍・和書では田中亮一氏の蔵書が多くを占めることが特記されている。ただし、田中文庫は漢籍が多くを占め、『源氏物語』は見えない。潟上・土屋一丸家蔵書に『源氏無外題』(元和元年)三冊が見えるのみである。

『新穂村史』
 田中とみ 1883-1960、新穂武井生れで舟下田中亮一に14才で嫁したという。資産があり、主人は温良であり、子宝に恵れなかったので婦人会運動に一生を捧げたといってもよいであろう。明治39年婦人会組織の時も同村の後藤キミ、大野河野セツ、長畝佐藤等と共に発起者であり、大正7年(1918)35才で副会長となり、同13年会長、大正15年には佐渡郡婦人団体の副会長に当選、後婦人会の県連合会の役員等を歴任した。そのことよりも「風俗改良」に対する熱意と実行力は大きかった。尤も生活改善節約運動は近世にも盛んであったが、実効は少なく明治-大正と持ちこされていた。田中は大正14年嫁の配り物は全廃と「配り物はやるな、受けとるな」と会員全員に署名捺印させたという。「田中の世話やきばばあ、子供がないから肩が軽い」と一般から悪口を言われたが負けずに運動をつづけた(『新穂村史』(昭和51年刊)。

 こちらの田中とみは、大川周明(1886-1957)日記にも登場。大川は、『大川周明日記明治36年--昭和24年』( 大川周明顕彰会、岩崎学術出版社, 1986年)に、田中亮一子孫の来訪と、とみからの付け届けを記していた。

  昭和18年10月18日 月
二十年以前に知合へる佐渡田中亮一氏の子及び孫来訪。
 昭和18年10月24日 日 
佐渡田中トミ女史より味附わかけ(ママ)罐入恵送。

 ただし、「田中亮一氏の子及び孫」とあるものの、二人に実子はないので、養子が大川周明を尋ねてきたことになる。

 とりわけ、田中亮一家の蔵書の整理時期と、大島本の売却交渉時期が重なることは重要。ただし、田中亮一が新穂村舟下の人で、没年は推定(1937年)とあり、詩文に優れたことが知られるのみで、戦国時代の吉見正頼から昭和佐渡時代までを辿ることは困難。世話好きの田中とみが、佐渡出身の代議士山本悌二郎らの推薦状を携えて、隣村の田中家由来の大島本売却交渉のため、高木文を尋ねた可能性はあるにしても、やはり、大島本の越左に関しては、和歌の家としての貝塚田中家を起点に考えて良いように思われる。
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板倉功氏「『源氏物語』越佐の系譜ー底本『大島本』は『佐渡本』」について
2017-09-28 Thu 09:00
板倉功論文

 佐々木孝浩氏著『日本古典書誌学論』に関する高田信敬氏の書評「国語と国文学」(2017年10月号)は極めて重要な指摘と知見に富む論攷。ただし、大島本の伝来に関して以下のようにある。

  なお伝来に関して(241頁)、佐渡島の所有者が少しわかることを付言する(注9)

(注9) 佐渡島にて修理ヤツ女史(1936年没)より剛安寺に寄贈された経緯がある(「『源氏物語』古典覚え書き」179)

 調べてみると、この情報が平成14年(2002)にもたらされたものであることが判明。この年以後の文献であることが必須条件となると、板倉功著『源氏物語覚書 改訂版』新発田、1、2003年8月、2、2003年10月、2冊のうちの、179頁にこの記述があることになる。これは国立国会図書館、新潟県立図書館、鶴見大学図書館にしか所蔵が確認されないもの。ところが、板倉功氏には、再度、これをまとめた論攷のあることが判明。

 板倉功「『源氏物語』越佐の系譜ー底本『大島本』は『佐渡本』」「郷土新潟」46号、新潟郷土史研究会、2006年3月。

 この号を購入して精読。すると、以上の「新情報」は吉井本郷(旧金井町)剛安寺住職による先代証言のみが論拠であって、高木文に大島本を売りに来た田中とみとの関係、はやく父と兄を喪い、母の手で育てられ、苦学した裁縫教師・修理ヤツ(1853-1936)が、『源氏物語』をどこから、どのように入手したのか、これらは一切不明であり、確定条件は認められない。
 現在、佐渡にある『源氏物語』は二セットで、ひとつは市立図書館蔵の堀家本(佐渡市指定 有形文化財)と、もうひとつは松栄家本。堀家本は所有者・堀治郎氏没後、ただちにゆかりの家から旧金井町に寄贈されており、剛安寺経由の伝来は考えられない。ところが後者の松栄家本(松栄家は回船業、佐渡汽船オーナー。明治初年、鈴木重嶺により佐藤から改姓)は、当主の証言として、先代・松栄俊三(1890ー1984)の入手と本論文にあることから、この本こそが、板倉論文にいう『源氏物語』の可能性が極めて高いように思われる。
 いっぽう、『光源氏物語傳來史』で、大島本所有者と推定した貝塚田中家の来歴は以下の通り。吉見家滅亡のあと、毛利家の所蔵となり、明治半ばに、勝海舟、鈴木重嶺の仲介で佐渡に渡ったと考えるのが卑説。一昨年秋、毛利家研究の広島県立大学の秋山伸隆先生に窺ったところ、江戸時代の毛利家典籍は一切流出した形跡はない旨を御教示頂き、近代に至って大島本の越左を裏付ける証言であるように思われるので付言する。

田中穂積

『佐渡を創った百人』金井町、1987年。出典・佐渡人名録

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千野裕子著『女房たちの王朝物語論 -『うつほ物語』『源氏物語』『狭衣物語』』
2017-09-26 Tue 06:51
 著者より『女房たちの王朝物語論 -『うつほ物語』『源氏物語』『狭衣物語』』を拝受。ありがとうござました。女房論に関しては、必要あって吉海直人さんや、野村倫子さんらの著作をあらあら読み返したところ。これら先行諸説も過不足なく取り込まれ、お得意の「系図」とも相待って、「女房」総体の物語史を語る見事な結晶体となっています。とりわけ、『狭衣』に比重が大きくなるのも、この物語を突き動かす原動力となっているのが「女房」だからなのだということを学びました。大塚ひかりさんの「「脇役」の「欲望」が物語を動かす。政治情報、男女の秘密、物語の過去……すべてを握って物語のゆくえを決めるのは主要人物に仕える「女房たち」だった。作者も多くは女房であった王朝物語への新しいアプローチ」なる帯文が本書の魅力と本質を見事に捉えています。みなさん、ぜひ、御高架をお願いします。

 千野さんにアシスタントをお願いした『マンガでわかる源氏物語』は、台湾語訳も出版され、発売5年後の今もamazonの『源氏物語』部門で10位前後をキープするロングセラーとなっています(2017年9月26日6時30分現在6位!)。こちらもよろしくお願いいたします。
千野裕子著『女房たちの王朝物語論 -『うつほ物語』『源氏物語』『狭衣物語』』の続きを読む
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「かたちたくみ」の太氏書入本『竹取物語』
2017-09-25 Mon 06:36


twitterで『竹取物語』の本文研究の成果を呟いておられる@tktrlさん。以下のような問題点を指摘されています。さっそく東海大学桃園文庫蔵の転写本を開いてみたところ、やはり「(朱)かたち/匠」(本文8行目)。『かぐや姫と絵巻の世界』本文は、流布本により校訂したもの。南波浩『校異古本竹取物語』(ミネルバ書房、1953年-底本「新井本」)も、本文は「かぢ匠(20)」と校訂し、新井本、三手文庫本が「かたちたくみ」であったことが報告されています。
 
 頭注(20)「(かたちたくみ)(底本、三)「うちたくみ」(神、正)「かちたくみ」(諸本)諸本に従った」

『竹取物語』古本系統本文研究は吉川理吉(龍谷大学)、中川浩文(龍谷大学)、南波浩(同志社大学)と京都系の学問の感があったものの、現在は流布本一辺倒になっていることは周知の通り。修士論文指導の際、萩谷先生は「契沖の学問は、国学者の中でもっとも確かなもの」「南波先生は、学問も人物も本物の方」。中田校本に誤りがあることを申し上げると「中田さんは(お酒を)呑むからなあ」との仰せがあったことを、これを書きながら思い出しました。

中田氏の校異篇p36、「〇かちたくみ―かたちたくみ【似】」とあって、上原先生も「かちたくみ」(注:三手文庫本文「かたちたくみ」、かぐや姫と絵巻の世界p32)とされている。三手文庫本移写本の翻刻(吉川氏)を見ても「かたちたくみ」とある。これは首肯される

ところが、新井氏著の翻刻では「かたちたくみ」(本文篇p9)であり、南波氏翻刻も「かたちたくみ」(全書p83)、中田氏校本でも「*鍛冶―かたち(古本) 諸本により訂す」(古本竹取物語p7)とあり、中田氏の調査結果が矛盾している。校異篇のミスと判断したいが、原本影印の刊行が待ち遠しい

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『婦人世界』昭和2年10月號「談話くらぶ」
2017-09-24 Sun 06:05
婦人世界・読者欄
談話くらぶ

まあ、先生「香炉の夢」はどうしたのでせうか。四度までもお待ちしたのにやつぱりない。……いつぞや北大路先生は御病気と伺ひましたが、その後如何でせうか。私は高原で名高い所なんです。避暑地にはふさはしい所ですからどうぞ北大路先生に御出遊下さるやう申し上げて下さいませ。(甲斐山地 高藤生)

「香炉の夢」は八月號にも出てないのね。私はがつかりしてしまつたわ 小菊ちやんは今頃どうしてゐる事でせうね。最後に「花は咲けり」の美鈴ちやんの幸福を祈ります。
(福岡にて 順子)

先日記した北大路春房『香炉の夢』についての読者の声。病気を理由に「休載」し、そのまま中絶に至る経緯が読者に伝わっていないことが判ります。すでにこの年、池田亀鑑は東大副手、芳賀矢一記念会の『源氏物語』注釈書集成、くわえて実業之日本社社員でもあったため、首が回らなくなった方便だったのでしょうか。
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北大路春房『香炉の夢』
2017-09-20 Wed 00:10
  「香炉の夢」(北大路春房・婦人世界一月―昭和二年五月)、「乱刃の巷」(青山桜洲・日本少年、一月一十二月)、「栄光の騎手」(村岡筑水・前述)、「炎の渦巻」(青山桜洲・少女の友、一月一―十二月)、「青い小蛇の死」.(闇野冥火・少女の友一月―十二月)の五大長篇をはじめ、「前世紀の怪魔境」(関野冥火・日本少年・四月―七月)の中篇、それに読切りの短篇を若干、五つのペンネームをフルに動員して、千手観音もどきの大活躍である。
 「香炉の夢」はこの作者のものとしてはわりあいとリアリスチックな大作で、掲載誌も婦人世界であったためか、念入りに書いていたという。(皓氏談)時代は江戸、舞台は肥後八代在。この八代在に舞台をえらんだのは、房子夫人の郷里に近いからであると思われ、附近の自然描写など夫人の入智慧を借用したかと考えられる。そこにみゆき・小菊という姉妹が、従兄清之助といっしょに暮らしている。姉妹は肥後藩士の遺子で、姉のみゆきは勝気で才気があり、妹の小菊は内気でやさしい性格であった。従兄清之助は不具の身で彫刻にうち込み、彼のノミ一本で三人の生計を立てている。彼の父は数年前敵討のために旅出して帰らず、彼は美しい許婚者みゆきとの将来に、わずかな希望を託している。ところが、みゆきは他に恋人ができて駈落する。妹の小菊は小四郎という美男の小姓と恋仲であったが、みゆきの失踪を知った従兄清之助は、一夜狂乱のあまりに小菊を犯す。一方、小四郎は主家の未亡人や小間使に挑まれるが、それらを振り切って小菊といっしょに逃げようとする。しかし小菊は身の汚れを恥じて泣く泣く拒絶、小四郎は怒って出奔する。さきに恋人と駈落したみゆきは放浪の果て、疲れ切って阿蘇山麓へ流れ来る。そこへ偶然、清之助と小菊も移住、清之助はみゆきの幻影をモデルに観世音菩薩の像を刻む。又、彼の父も敵探しの旅を終えて巡礼の少女とともに来り、主要人物すべてか阿蘇へ集まって物語の再展開が期待されるところで、作者病気のため中絶しているのだ。これまでのところでは年来の恋が成就したカップルは一組もなく、みなすれ違いに人生のあらぬ街道を心ならずも歩いている。みゆきの邪恋というわずかなつまずきが発端となって、善良な男女の人生をかくも狂わすものだというのが一篇のテーマとみられる。清之助の性格描写は幸田露伴を想わせるものがあって、とくに精彩をはなち、女性の描写も少女小説の単純から一歩ぬけ出して複雑化されている。この作者も女を知ったという感が深い。なおこの小説には、小菊を描くのに源氏の夕顔を引用したり(第一回)、平家物語の想夫恋をひき合いに出したり(第三回)、清之助の芸術家気質に「天才」という語を何べんも使用したりしているのは、後年の池田博士の面目をしめして興味深い。掲載当時は大変な評判で、ほかの作者の写真はときどき雑誌に載せられるのに、北大路春房先生の写真はどうして一回も載せないのかと、抗議を申し込んだ読者もあったくらいである。(長野嘗一「小説家・池田亀鑑」二、「學苑」昭和女子大学光葉会、1958年6月)

 なお、「香炉の夢」はことわりなく中絶となったため、10月号の読者欄に二通「この4ヶ月待っている」「北大路先生は病気やならん」旨の苦情が寄せられている。
 

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北大路春房『白萩の曲』
2017-09-19 Tue 07:10
  (池田亀鑑は)結婚の翌大正十四年には、さらに一層筆に油が乗ってくる。すなわち、「白萩の曲」(北大路春房・婦人世界・一月~九月)「かたぶく月影」(池田芙蓉・少女の友・一月~十二月)「さしまねく影」(闇野冥火・少女の友・一月~十二月)二月)、「馬賊の唄」前篇(池田芙蓉・日本少弟一月~大正十五年一月)の諸長篇をはじめ、いくた読切りの短篇を書いている。

 このうち、「白萩の曲」は「婦人世界」への初登場として注目すべく、筆名も北大路春房という、しゃれた貴公子のような新名を用い、大人の読者を相手として、自己の力倆を世に問うた。親子二代にわたる恋の執念、奇しき運命にあやつられた人間の離合を、歌舞伎風なタッチで描き、大尾は炎々たる猛火のなかに、主要人物すべてが互いに愛する人と抱き合うて死んでゆく。構想の緻密、情緒のてんめん、落ちついた行文、ハッピイエンドに終らせない話の結び方、惨劇のあとに咲かせた白萩の花一群、―――けだし通俗小説。 (長野嘗一「小説家・池田亀鑑」二「学苑」昭和女子大学光葉会、1958年6月 )

 「白萩の曲」完結の「婦人世界」を入手。小説の完結した巻を手に入れるのは至難の業です。
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大正時代の『婦人世界』
2017-09-18 Mon 08:34
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婦人世界①

大正11年から昭和2年までに刊行された実業之日本社『婦人世界』を入手。北大路春房名の池田亀鑑の小説『白萩の曲』、『香炉の夢』、昭和2年からは実業之日本社社員として入社し、「記者」としても、7月から「兄妹はいかに教育せられたか-ある青年家庭教師の手記」を連載。また、長野嘗一「小説家・池田亀鑑」のリストには10月発表となっていた、芥川龍之介の死を特集した「天才の死は若き人々に何を考へさせたか?」 はこの号になく(掲載号未確認)、島崎藤村、田山花袋の生誕地を特派記者として尋ねる「 天才はいかなる土地と家とに生まれたか」が掲載されています。後者は池田亀鑑の著作リストに洩れていますが、芥川の特集との類似性、文体から、そのように判断します。

 『婦人世界』小説リストを改訂しました。
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同窓会講演会
2017-09-17 Sun 09:04


 青山学院女子短期大学同窓会国文学科会の講演会を終える。役員のみなさんにはたいへんお世話になりました。ありがとうございました。
 井の頭線京王線と乗り継いで、日大文理学部で物語研究会例会に合評会の途中から参加。記憶のないくらいご無沙汰の同世代の友人が参加。浦島さんは二次会ですっかり人気者となっていました。
 吉祥寺からバスで帰宅途中、大泉学園北口付近で交通事故のため道路が塞がり、長時間停車。雨で視界が悪かったのか、ぶつかることが想定できない位置にふたつの車がありました。雨の中の事故処理、ご苦労様でした。
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