物語学の森 Blog版 2017年04月
旧暦換算と月齢計算の困難
2017-04-27 Thu 07:51
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  『源氏物語』宇治十帖の時代、例えば980年(庚辰)旧暦7月を起点として、この年と同じく新暦(4年に1度)旧暦(19年に7度)の閏年が重なる時を仮に算定してみると、2044年(甲子/七月閏月)が該当。ただし、月齢を起点としているはずの旧暦と干支が合わない。これは、太陽の回転と月齢とがそれぞれ小数点以下の微妙な差を埋める閏によって生じたものと考えられるので、概算値とするほかない。
 2044年は82歳。この月齢を確認できるかどうか、現在の健康状態からして、はなはだ疑問ではある。
 なお、干支(庚辰)で言えば、2000年が該当するが、この年は、グレゴリオ暦では、次の規則に従って400年間に97回の閏年を設ける規定の、とくに第3項に該当し「閏年」。

○西暦年が4で割り切れる年は閏年。
○ただし、西暦年が100で割り切れる年は平年。
○ただし、西暦年が400で割り切れる年は閏年。
○400年に3回、100で割り切れるが400で割り切れない年は、例外で平年とする

したがって、2000年は「閏年」だったにもかかわらず、以上の解釈から誤解が発生した問題の年。以下、覚え書き。
1000年は平年/1100年は平年/1200年は閏年/1300年は平年/1400年は平年/1500年は平年/1600年は閏年/1700年は平年/1800年は平年/1900年は平年/2000年は閏年/2100年は平年/



 
 
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十文字学園女子大学図書館『鈴木一雄文庫目録』
2017-04-25 Tue 07:29


 武田比呂男先生より、十文字学園女子大学図書館『鈴木一雄文庫目録』を賜りました。ありがとうございます。さっそく、赤間恵都子氏の解説を拝読、「書名索引」「著者名索引」から書誌情報をつぶさに勉強。萩谷先生の私家版『平安朝歌合大成』『平中全講』を定期購読なさって揃えていた世代の蔵書群。そしてこれから生まれた『夜の寝覚』『狭衣物語』の校注等、お世話になりました。活用させていただきます。
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藤の花
2017-04-23 Sun 07:16

 月曜日四時限目の90分過ぎ、突然、風邪と思しき自覚症状、以後、だましだまし仕事続行して寝込み、週末ようやく回復。自宅近くの小さな公園の藤の花はいつしか満開に。
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宇治八宮邸西廂の薫の立ち位置
2017-04-20 Thu 07:45
宇治八宮邸
 <八>宮のおはせし西の廂に、宿直人召し出でておはす。そなたの母屋の仏の御前に、君たちものしたまひけるを、<気近からじ>とて、わが御方に渡りたまふ御けはひ、忍びたれど、おのづから、うちみじろきたまふほど近う聞こえければ、なほあらじに、こなたに通ふ障子の端の方に、かけがねしたる所に、穴のすこし開きたるを見おきたまへりければ、外に立てたる屏風をひきやりて見たまふ。
 ここもとに几帳を添へ立てたる、<あな、口惜し>と思ひて… 「椎本」巻

 宇治八宮邸作図。とりあえず物語内容との矛盾なし。薫が八宮持仏のある西二間にいる姫君たちを垣間見しているところ。
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槇ノ尾山と槇尾山(天ケ瀬公園)
2017-04-17 Mon 08:08
京阪宇治路線図
 
 薫が二月以来の宇治を訪問した折の「槙の山辺」について再調査。そして覚え書き。

 宇治に参うでで久しうなりにけるを、思ひ出でて参りたまへり。七月ばかりになりにけり。都にはまだ入りたたぬ秋のけしきを、音羽の山近く、風の音もいと冷やかに、槙の山辺もわづかに色づきて、なほ尋ね来たるに、をかしうめづらしうおぼゆるを、宮はまいて、例よりも待ち喜びきこえたまひて、このたびは、心細げなる物語、いと多く申したまふ。          「椎本」巻

  宇治市には、槙ノ尾山(標高106㍍)と槙尾山(標高367㍍)とがあって、後者は現在はダム湖を抱える公園となっている。前者が薫の眺めた「槙の山辺」。宇治八宮邸(八宮は「山懐」と述べている上、川岸にあったと推定される)と宇治川を挟んでほぼ対岸にあることになる。やや川岸からは離れたところにある源氏物語ミュージアムを起点とするとやや南東となるので注意が必要。
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竹内正彦著『2時間でおさらいできる源氏物語』
2017-04-15 Sat 07:34
 著者から竹内正彦著『2時間でおさらいできる源氏物語』拝領。ありがとうございます。巻毎に著者の『源氏物語』に関する蘊蓄が書き込まれてあり、充実した入門書。2時間で読めることは読めるのでしょうが、諸説確認しながら読めば、講義でも数年掛かるでしょう。廉価の文庫本、ぜひ一冊お手元に。
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久富木原玲著『源氏物語と和歌の論』
2017-04-14 Fri 07:44
 著者から『源氏物語と和歌の論』(青簡舎)拝受。ありがとうございます。教職の区切りを期してまとめられた大冊。前著『源氏物語歌と呪性』(若草書房.1997年)も名著でしたが、その後20年、海外の大学への長期出張体験から、世界的な広がりを持った『源氏物語』の和歌世界が展望されています。ぜひ御高架をお願いします。
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ふたつの世界
2017-04-13 Thu 07:02


 この日は移動日。すでに気温は18°。図書館により、はやめの学食のランチののち井の頭線、半蔵門線で移動。



 5時限目を終えるとすでに青山通りは夕暮れ。おなじ「大学」を冠する世界なれど、ともに創立130年近く経て、まったく異なる雰囲気を持つ。この微妙な「趣」が進学の決め手になっているのだろう。
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授業始まる
2017-04-11 Tue 05:39


  月曜日からほぼフル稼働。ところが、早朝には教材データも貼り付けられたポータルサイトが、履修登録やシラバス閲覧のアクセス集中でサーバーダウン。目標、概要、遅刻欠席の扱い、評価方法、すべてサーバーの中。粗々話して詳細は来週に先送り。多士済々、苫小牧から福岡まで、全国から若人集結。1コマめは2年生ゆえ、助走程度、2コマ目の1年生は初回からいきなり100分フルタイム完走しました。
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相撲節会の勝敗が判る史料ふたつ
2017-04-08 Sat 09:29
 発表者が見つからぬ場合という条件付きでの『源氏物語』「椎本」条に関する報告に備えて、文献整理中(薫「相撲など、公事ども紛れはべるころ過ぎて、さぶらはむ」)
 平安中期の相撲節会の勝敗が判る史料はふたつ。

『小右記』長元四年(1031)七月廿九日。甲戌。
 酉剋許、相撲惟永参来云『従一番至六番右勝了。後未為七番之前罷出』。惟永二番也。先是頭中将差舎人申送。『一番近光二番惟永皆勝了』者。可給陰陽師為行禄之由示送之。
 入夜、将監為時持来「手結」。十一番右勝。右最手勝岡、腋為男、為永不取。右幹行申障被免歟。十二番左申障。此間二番為左勝。金勝一番。金一番天判。左陰陽師恒盛。右陰陽師為行。為時々取遣符納絹二疋給為利。
入夜、三位中将(藤原兼頼)来云『東宮参上給。候御供。更闌罷出』。又云『左相撲極無力云々。未見如此之事。内府候簾下』者。又清談次、伝示道成朝臣給官事。小時、『阿波相撲良方執敵髪。有勅。令候府』者。

  ※「手結(てつがい)-星取表」「最手(ほて)-横綱・大関」「腋-関脇」「金-金星」「天判-天皇の判定」「更闌-夜更け」

左勝 (此間二番為左勝+良方反則勝) 計3勝
右勝 1.2.3.4.5.6 ……11(不戦勝)     計7勝  
  2番不明(12番「申障」により中止か)
計12番 
 敵の髪を執る反則をした阿波の相撲人・良方は、後一条天皇の命令により近衛府に拘禁され、八月三日、右近衛大将・藤原実資が赦免を天皇に言上、翌日保釈されている。

『うつほ物語』「内侍のかみ」巻 395⑯

 その相撲の日、仁寿殿にてなむ聞こし召しける。(略) 左、右近衛大将より始めて、よろづの天の下の人参り給ふ。左、右近の楽人、おりととのへて候ふ。面白きこと限りなし。皆、相撲の装束し、瓠花挿頭しなど、いとめづらかなることどもしつつ、左、右近の幄打ちつつ候ふ。限りなく清らなる御かたちども、まして、御装束奉りて、皆、その日、男・女、二藍をなむ奉りける。(略)
今は、皆、相撲始まりて、左、右の気色、祝ひそして、勝ち負けのかつきには、四人の相撲人出だして、勝つ方、一、二の相撲、方人(かとうど)に取られ給へる親王たち・上達部、大将、中、少将、楽し給ふ。十二番まで、こなたかなた、かたみに勝ち負けし給ふ。ただ今は、こなたもかなたも、数なし。今一番は、出だすべきになむ、勝ち負け定まるべき。左に、名だたる下野の並則、上りて候ふに、並則が都に参上ること三度、ここばくの年ごろの中に、一度は仕うまつれり、一度は合ふ手なくてまかり帰りにき。天の下の最手(ほて)なり。左大将のおとど((源正頼))、「右の相撲、これに合ふべきはなし」と思して、こたびの相撲にぞ勝負定まるべければ、せめて、こなたかなたに挑み交はしておはしまさふ。左は並則を頼み、右は行経を頼みて、大願を立てつつ、勝たむことを念じ、さらに、相撲、とみに出で来ず。(略)
 からうして、まづ、左に並則、右に伊予の最手行経出で来る時、人々、「こたみの相撲の勝ち負けの定まらむこと、いと無期なり。まさに、並則・行経が合ひなむ手は、とみに定まりなむやは」と、心もとなくてあるほど、上、「いと切に労あり。左にも右にも、今日勝たむ方は、参れる人、分かれて、その府の人・官人の送りせよ」と仰せられて、左、右と遊ぶこと限りなし。かかるほどに、なほなほ、左勝ちぬ。左より、四十人の舞人分かれて、人など、数知らず出で来て、遊ぶこと限りなく、面白く遊びせめて、左大将殿、かはらけ取りて、並則に賜ひて、衵の御衣脱ぎて賜ふ。

左 勝7番
右 勝6番
計 13番

 参考文献 上原作和「相撲節会」黒板伸夫監修・三橋正編『小右記註釈-長元四年条』八木書店、2009年
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