物語学の森 Blog版

このBlogは、私が物語研究の途上で出会った様々な発見や、物語をともに学ぶ人々との出逢いを綴ったものです。ごらんのみなさんにも物語文学の深遠なる森の如き世界の一端をお知りいただければ幸いです。

伊藤鉄也先生編『もっと知りたい池田亀鑑と『源氏物語』』第3集

もっと知りたい池田亀鑑3

 第3集刊行なる。私の座右の書『花を折る』(1959年)の前半部が収められました。「古書を訪ねて/本のゆくへ」は神戸・オリエンタルホテルの阿仏尼本源氏物語の所有者、英国籍インド人・モーデ(modey)の記録。伝本研究の端緒となったエッセイ。
  代表作『馬賊の唄』に関する考察も読み応えがあります。くわえて、資料編もお読み下さい。
 上原編 「復刻・池田亀鑑著作選/悲しく美しい安養尼の話・上下/嵯峨の月/笄の渡/落城の前/咲けよ白百合」
 上原解題「小説家・池田亀鑑の誕生-少女小説編」

  二十代前半に当たる東京高等師範、女子学習院時代の「少女の友」掲載の短編小説集としました。 「悲しく美しい安養尼の話」は、伯耆に残る後醍醐天皇の皇女・瓊子内親王の伝説を小説化したデビュー作で唯一・池田亀鑑名義。「嵯峨の月」は『平家物語』の小督説話に取材した作品。時代性もあって平清盛は極悪好色の悪役です。「笄の渡」は信州坂城の村上義清の側室が武田信玄との戦に敗れて千曲川を渡って逃れた伝説に取材したもの。「落城の前」は山本八重が会津落城に際して奮戦した物語。なんと出家します。「咲けよ白百合」は現代もの。引用される東西の古典が作者の才能を物語っています。

 ぜひ御高架をお願いします。


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『源氏物語』主要脱文・本文異同稿、続編その1

 正編その1から間が空きました。今回は「橋姫」。明融本と大島本は、親子関係ではないが、本文系譜上、共通宗本で繋がる関係にあることが確実な例。新編全集は、二箇所とも他本で補って校訂、新大系は脚注に断る。全書は底本のまま。
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橋姫 ①
新編全集 120-09 明融本
さすがに広くおもしろき宮の、池、山などのけしきばかり昔に変らでいといたう荒れまさるを、つれづれとながめたまふ。家司などもむねむねしき人もな▽かりければ、とり繕ふ人もな▽きままに、草青やかに茂り、軒のしのぶぞ所得顔に青みわたれる。

新大系 300-11 大島本
 さすがに広くおもしろき宮の、池、山などのけしきばかりむかしに変はらで、いといたう荒れまさるを、つれづれとながめ給ふ。家司なども、むねむねしき人もな▼きままに、草青やかにしげり、軒のしのぶぞ所得顔に青みわたれる。
註一七 青表紙他本「なかりけれはとりつくろふ人もなきままに」。
池田全書  211-1 大島本
 さすがに広くおもしろき宮の、池、山などの景色ばかり昔に変はらで、いといたう荒れまさるを、つれづれとながめ給ふ。家司なども、むねむねしき人もな▼きままに、草青やかに繁り、軒のしのぶぞ所え顔に青みわたれる。
註三 しつかりとした人もゐないままに。 
明融
―さすかにひろくおもしろき宮のいけ山なとの 五オモテ/けしきはかりむかしにかはらていといたうあ/れまさるをつれ/\となかめたまふけいしな/ともむね/\しき人もな▼きまゝに草あを/やかにしけりのきのしのふそところえかほに/あをみわたれるおり/\につけたるはなもみ/ちのいろをもかをもおなし心にみはやし給/しにこそ」五ウラ

大島
―さすかに/ひろくおもしろき宮のいけ山なとのけし/きはかりむかしにかはらていといたうあれまさる/をつれ/\となかめ給ふけいしなともむね/むねしき人もな▼きまゝに草あをや」四オモテ/かにしけり軒のしのふそ所えかほにあを/みわたれるおり/\につけたる花もみちの色/をもかをもおなし心に見はやし給ひし/にこそ」四ウラ

1509–09 池田・肖柏・日大三条西・穂久迩・曼珠院・三条西証・大正/高松宮・横山・陽明・国冬・麦生・阿里莫
―むね/\しき人もなかりけれはとりつくろふ
 保坂
―はか/\しきもなかりけれはとりつくろふ

橋姫 ②
新編全集146-07 明融本

かの御上とて聞こしめし伝ふることもはべらん。過ぎたまひていくばくも隔たらぬ心地のみしはべる。そのをりの悲しさも、まだ袖のかわくをりはべらず思うたまへらるるを、▽手を折りて数へはべれば、▽かくおとなしくならせたまひにける御齢のほども夢のやうになん。かの故権大納言の御乳母にはべりしは弁が母になむはべりし。

新大系 319-13  大島本
かの御上とて聞こしめし伝ふる事も侍らむ。過ぎ給て、いくばくも隔たらぬ心ちのみし侍。そのおりのかなしさも、まだ袖のかはくおり侍らず思ふたまへらるるを、▼かくおとなしくならせ給にける御齢のほども夢のやうになん。かの権大納言の御乳母に侍しは、弁が母になむ侍し。

註三四(あなたが)このように立派に成人なさったその年齢からしても、まるで夢のようで。柏木巻によれば、柏木の死は薫の誕生の直後。弁は暗に二者の関係の深さをいう。青表紙他の本「かく」の上に「てをゝりてかそへ侍れは」。 
池田全書 231-7  大島本
かの御上とて聞召し伝ふる事も侍らむ。すぎ給ひて、いくばくも隔たらぬ心地のみし侍る。その折の悲しさも、まだ袖のかはく折侍らず思ふ給へらるるを、▼かくおとなしくならせ給にける御齢の程も、夢のやうになむ。かの権大納言の御乳母に侍りしは、弁が母になむ侍りし。
明融
―かの御うへとてきこしめし/つたふる事も侍らんすきたまひていくはくもへ/たゝらぬ心ちのみし侍そのおりのかなしさも/またそてのかはくをり侍らすおもふたまへ/らるゝを▽(朱傍書〈手ヲ折てカソヘ侍レハ〉)▽かくおとなしくならせ給にける御よは/ひのほともゆめのやうになんかの権大納言」三一ウラ
大島
―かの御うへとてきこしめしつたふる事も/侍らむすき給ていくはくもへたゝらぬ/心ちのみし侍そのおりのかなしさもまた/袖のかはくおり侍らすおもふたまへらるゝ/を▼かくおとなしくならせ給にける御よ」二八ウラ/はひのほとも夢のやうになんかの権大納言

1528–04 池田・肖柏・日大三条西・穂久迩・曼珠院・三条西証本・大正/高松宮・横山・保坂・国冬・麦生・阿里莫
―てをゝりてかそへ侍れはかく
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黒田徹著『万葉集の構文と解釈』

 大学院時代、昭和63年度、渡瀬昌忠先生の上代文学演習は著者と私、そしてなぜか近代文学専攻の女子の三名の履修でした。 唯一、『万葉集』を専門とした著者・黒田徹さんは前著から十年を閲して、粛々と筆を執り続け、二冊目の御本を刊行されました。年賀状でお知らせいただきましたが、ようやく入手、秋の夜長に読ませて頂いています。この初夏、吉田幹生さんが「面白かった、この三つ」(レポート笠間)で取り上げておられました。書肆・万葉書房のサイトを閲覧したところ、書評も出揃いつつあるようです。『万葉集』はまだまだ訓釈の安定しない歌も多い。ましてや『源氏物語』は、本文も実はかなり不安定なところも多いのに、既成の校訂本で、万事、解釈を済ませて理論に嵌め込んでいるのが若い人のはやりもの。

 佐伯梅友流の構文理解の表記法
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  夢にだに<夢尒谷> 見ざりしものを

 も懐かしく読みました。藤井氏の『日本語と時間』の書評も、私の習った文法理論ならこういう批判も有ろうかという示唆も重要。

 巻頭の、渡瀬先生の短歌を最後に紹介します。

   刊行に寄せて
 若き時ゆ病み来し友の 成す論著 励まし止まず 老い病む我を
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谷崎『源氏』「新訳初版」と「愛蔵版」


 谷崎潤一郎の三次に亙る『源氏物語』の訳業のうち、解釈の大きな変更点はふたつ。ひとつは「桐壺」巻の、帝の渡御の解釈、もうひとつは「手習」巻の浮舟に取り憑いた物の気・八の宮説の注記。1955年の「新訳愛蔵版」刊行の際、解釈の変更に際し、玉上琢彌は山田孝雄に了解を取り付けるべく、遠路、仙台に赴き、地元郵便局から編集部に「交渉成功」の電報を打ちました。結果、前者は訳文に動作主( )を訂して入れ、後者は注記を削除(写真左)して刊行されました。「初版」本文は全ページ黄縹模様。
 一応、名目上、谷崎潤一郎の代表作の話ですが、彼は旧訳、新訳2回の訳業をするにはしたが、あとのことは編集の伊吹和子と玉上琢彌に任せていたことが判ります。
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忘れかけた記憶を辿る その2

 月曜日は普段ならお休みですが、祝日は短縮営業の清瀬「玄」へ。オーナーO君は、第二外国語中国語クラスと学部ゼミの同級生。ぼちぼち大学始業と来て、単位取得の話になり、必修の時間の縛りがあるゆえ、クラスメートとは履修もたくさん被りまた。 
 今にして思えば、もっと貪欲に勉強しておけば、中国語も聞き取れたろうし、字ももっと上手くなっていたはず。目的意識もあったような、ないような、現実とは乖離した大目標は持っていたから、歩の進め方が判らなかったと言うべきか、万事平均より若干下方に位置するだめな学生だったと思います。
 
 オーナーO君によると、一緒に履習した一般教養の「日本史」は出席と年一回のレポートで成績が決まり、早めに用意したボクのレポートが親本になって、数人がリライトした由(逆じゃなくて良かった!リライトした人たちは勤務先でかなり偉くなっている)。ところがリライト組は「A」、ボクがまさかの「D」。人の成績まで覚えてるんじゃない!
 いやはや、リライトのことはすっかり忘れていました。
 こちらに残る記憶は、年度明けてすぐに教務課で単位問い合わせをしたところ、「先生の初回講義の後で直接尋ねて下さい」とマニュアルがあるような回答。講義終わりに教壇に向かったところ、ちょっとびっくりの数の同級生達がおなじ問い合わせをしに来たのでした。結果、翌週、成績は「A」に変更となり、バス停でお会いした先生は顔を覚えていてくださり、ニッコリ挨拶して頂けたのでした。

 休み明けになると、「あの成績はどうしてですか」と学生が待ちかまえている夢を数年おきに見ることがある。それはこのときのことだったのだなあと得心した午後のいっときでした。

 帰宅して先生の消息を調べたところ、両親と同世代の昭和7年生まれ、定年後、講義内容をまとめたライフワークの単著を出しておられました。昔の大学の先生にはたいへんな学殖、造詣ながら生涯一作、ないしは数点という方もいらっしゃいました。すべては遙か昔、昭和も末の頃の話です。


 川越でO氏と同じアルバイトをしていた頃。O氏は喫茶コーナーをおもに担当していたようです。
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忘れかけた記憶を辿る

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ホースを並べているお尻の人が当夜の私。当時の愛車の先端も映り込んでいました。


 この数年で我が家の路地向いだけで空き家が三軒。空き地1。それぞれ事情は異なりますが、昭和40年代に造成されたこの地区も、世代交代の節目となっています。人が住まないとあっという間に家は傷むようで、台風の後、帰宅すると無人の家の部品のいくつかが路に散乱していました。
 そんな折、とある設計事務所さんから、空き地のままの、17年前の出火元のご親族の連絡先を尋ねられる。あらたに空き家となった家が無事売却され、いったん更地にした後、新築工事を行うので、私道の所有権を持つ人全員の了解が必要だという。今は発行されなくなった町内会名簿から、息子さんの連絡先を見つけてお知らせする。この空き地はあれこれあるようで、相続すらされていないことは知っており、「連絡ついても、ややこしい話になるよ」と申し上げると、「それは折り込み済み」とのこと。意外と知らない、設計事務所さんのお仕事の一端を知りました。

 なお、この火事の後、路地の狭さが問題となり、道路の拡張工事と妙音沢の公園整備も一気に進みました。引っ越して来た頃は藪の妙音沢付近に「痴漢に注意」みたいな看板が掛かっていましたが、バスの発着数や路線も多くなり、みるみる都市化したことは、この問い合わせであらためて知ることが出来ました。
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思い出せない、思い出横丁



 物語研究会例会でお茶の水女子大学。西武有楽町線で雑司ヶ谷駅。そこから延々と坂道を上り、辿り着いたら汗びっしょりでアンダーシャツを着替えて気分一新。発表者はお二人ともM2。自分の院生時代はもっとよちよちよろよろだったなぁと終電一つ前のバスで考えていました。発表途中、やや声が遠くなり、聴衆の多くがこっくりし始めたので、「聞こえません。もっと大きな声で」と合いの手を入れると、あとから、「怖かったです」と言われる。もうひとり会務報告の際にも怖かった人がいたので、「会の雰囲気が悪くなるから(ああいうもの言いは)やめてください」と帰りがけに申し上げる。熱海はあれこれあって、今年の決算も赤字の見通しの由。

 今から20年ほど前、今では当たり前ですが、「会費三年滞納で退会(今は1年)」の内規を作ったところ(1995年)、途中の三年間(2002年前後)、それが履行されず、納入率が落ち込んで、予備費まで赤字の見込みとなったことがありました。会員の「寄附」で賄ったので、今のところ予備費は潤沢。ただし、参加会員が若返った上、情報も錯綜しているので書き残します。明らかにガバナンスがおかしかった時代があったということでしょう。
 
 三次会は新宿に移動して思い出横町で一献。はじめて来たような気がしていましたが、これも今から十数年前、「関西に来い」と誘ってくれる先生と来たことを、これもバスの中で思い出しました。人文系から実学系に設置構想が変わった由で幻に終わりました。昨年の怪我以来、電車が都心を離れる毎、頭が冴えてくる、これが大事。


 
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武蔵野より 仲秋の名月



 「報道ステーション」で札幌・東北地方しか眺められないと言っていたので、外に出ると武蔵野でも辰巳の空にくっきり見えました(写真はぼけていてゴメンナサイ)。下に映っているおじいさんの住んでいた家は、かれこれ一年「売物件」の看板が掛かっている超格安不動産。下がり続ける日本人の平均年収並だというから驚きましたが、このあたりで探すとここだけ極端に安いようで、何人か見学に来ている人がいました。でも、看板ははずれません。

 悠久と世俗、月は百年後もこの夜を照らし続けます。
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昭和的渋谷を歩く


 待ち合わせからクラシカルにハチ公前。井の頭線南脇の薄利多売・半兵衛渋谷道玄坂店もまた昭和の居酒屋風。金額も昭和の学生料金でした。
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小諸義塾と藤村『旧主人』


 土日のみ開館の小諸義塾記念館へ。本来の地は小諸駅構内になっているので、懐古園内に移築された由。島崎藤村は、国語と英語担当で、竹取、徒然草、太平記が教材であったことを学びました。塾長・木村熊二の二番目の妻を描いた『旧主人』は発禁になったとあり、記憶をたどり返すと、学部2年当時の教科書に抄録されていました。近代文学の女性の先生は、おふたりとも健筆を揮っておられます。文学史の単元ごとのレポート提出は初めての試練でしたが、熱心な御指導だったと今になってわかる。なんだかんだで月平均二回しか授業をしない、とんでもない先生もいたのだから…(笑)。教科書から、W先生の「一葉作品にみる強い女像」なる抜き刷りも挟み込んでありました。80年代の雰囲気が蘇りました。
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