物語学の森 Blog版 2016年08月
物語学の森 Blog版
このBlogは、私が物語研究の途上で出会った様々な発見や、物語をともに学ぶ人々との出逢いを綴ったものです。ごらんのみなさんにも物語文学の深遠なる森の如き世界の一端をお知りいただければ幸いです。
大河ドラマの中の『源氏供養』
  『真田丸』27話の吉野の花見の宴の史実は、文禄3年(1594年)2月27日(新暦4月17日)、秀吉の生母、天瑞院の三回忌法要を執り行う高野山への参詣途上で催されたものとのこと。

 秀次が選んだ演目は、秀吉も好んで演じた記録の遺る『源氏供養』 三番目物。先に寧々が所望し、秀次があつらえたのが、『宇治十帖』。つまり、この物語そのものが『源氏』尽くしの巻だったわけです。『源氏供養』の物語内容から、後に自裁することになる秀次が用意した『源氏物語』が、冊子ではなく、巻物でなければならなかった理由もここにあるようです。秀次は自身の成仏を寧々に託したのでしょう。

 『源氏供養』の梗概は、以外の通り。石山寺を参詣に訪れた安居院の法印に声をかけた女がいた。自身の書いた『源氏物語』の光源氏を供養しなかったため、成仏できずにいる紫式部その人の霊であった。紫式部は光源氏の供養と、自分を弔うことを法印に頼み、巻物を託す、というあらすじ。

 当時の狂言綺語観から、紫式部は仏法の教えに背いたので地獄に堕ちたと言う、紫式部堕獄説が演劇化されたもので、「夢の浮橋」の如き、秀吉、秀次、秀頼らの運命が、この演目の主題に暗示されているようです。
 
 急遽、倒れたワキ・秀保の代役となった信繁が「紫の、紫の~」と噛むのが秀吉の怒りを買うひとつのポイントになっています。

ワキ「とは思えども徒し世の。とは思えども徒し世の。夢に移ろふ紫の。色ある花も一時の。あだにも消えし古の。光源氏の物語。聞くにつけてもその誠。頼み少なき心かな。頼み少なき心かな」

シテ「松風も。散れば形見となるものを。思ひし山の下紅葉」
地謡「名も紫の色に出でて」
シテ「見えん姿は。恥かしや」

 (キリ=最後の場面)

地謡「よくよく物を案ずるに。よくよく物を案ずるに。紫式部と申すは。 かの石山の観世音。仮にこの世に現れて。かゝる源氏の物語。これも思へば夢の世と。人に知らせん御方便。げにありがたき誓ひかな。思へば夢の浮橋も。夢の間の言葉なり。夢の間の言葉なり」。

 出演した能楽師さんのブログはこちら。

2016-08-30 Tue 07:19
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大河ドラマの調度品としての『源氏の物語』
襖絵女楽
宇治十帖

 『真田丸』第34話、北政所・寧々の襖絵は『源氏物語』。きり(長澤まさみ)の左頭上に琴が見えるので、「女楽」の襖絵のもよう。右は光源氏、簾越しに夕霧と子息か。構図的には、源氏物語図色紙貼交屏風(若菜) 斎宮歴史博物館蔵に近いようです。フォトギャラリーを拡大すると、寧々ときりを隔てる襖の絵は、石山寺の紫式部にも見えました。

 箱の中の巻子本は、豊臣秀次が寧々のために揃えた宇治十帖(第27話)。きりが秀次の娘・たかから物語を預かるところ。巻の尺によって太さが違うはずだが…と思ったけれども、これは無粋で意地悪な見方。

 ちなみに、東海大学本「浮舟」巻巻末別註に見える木下宗連は寧々の血を引くと伝えられています(wikki・木下宗連)。豊臣文化の『源氏物語』、傳秀吉筆の『源氏物語のおこり』の存在もあり、面白そうです。

 ※手許にある東海大学本影印は「宋連」とも読める。

2016-08-29 Mon 06:24
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9月4日・シルクロード楽器の響き~胡弓と箜篌・琵琶・中阮との出会い@東京オペラシティ

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 余明・劉継紅先生の企画によるシルクロード楽器のリサイタルです。観覧ご希望の方はご連絡下さい。特別料金になります。
2016-08-26 Fri 06:01
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熱海3days


 物語研究会大会のため、熱海へ。初日は台風直撃で、参加者も途中の駅で足止めされた人が多かったようです。二日目は晴天だったり、雨が降ったりと不安定な季候ながら、充実した議論を聴く。会場からの眺めも美しく。熱海は、戦前、熱海万平ホテルが駅の裏山・桃山温泉にあったというので、ともあれ、そのあたりの写真を収めたのが一枚目。
 ちなみに昨年の大会は湯河原でした。

2016-08-25 Thu 06:25
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ありがとう、三宅宏実選手

 いったん信州より帰宅。三宅選手の横断幕が「おめでとう』バージョンに代わっていました。元気をありがとう。
2016-08-20 Sat 19:39
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サントミューゼ上田市立美術館・真田丸展

 江戸東京博物館で見逃した真田丸展。上田展のみの展示もたくさんありました。とりわけ、注目したのは、大阪冬の陣後、姉・村松に宛てた、無事を伝える仮名消息。武将や僧侶と表記・文体を書き分ける作法を学びました。同時開催の幕末維新墨蹟展覧会も垂涎の墨蹟が並んで壮観。坂本龍馬の書簡の実物を直に熟覧出来ました。いずれも21日まで。
2016-08-19 Fri 15:26
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碌山美術館、そして安曇野ちひろ美術館
 安曇野の碌山美術館、さらに足を延ばして、安曇野ちひろ美術館へ。碌山美術館は高村光太郎・智恵子の詩と芸術の企画展。いずれも眼福でありました。
2016-08-18 Thu 06:08
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東風吹く浅間山の口伝
 

 台風接近につき、浅間山の噴煙が左に靡いています。これは極めて珍しく、初めて見ました。父によれば、終戦の年の夏も左に靡いていたので、不吉なことの前兆だと言い伝えられて来たとのこと。禍を転じて福となす、となりますように。
2016-08-16 Tue 09:13
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隅田川クルージング


  安曇野から某君がやってくるので、新座駅。銅メダルの三宅選手一家は、中華料理・チャイナドオルの常連さん。新聞にも紹介された直後、お父様とは御一緒したことがあります。秋葉原に行きたいというので、西武副都心線新宿三丁目から都営新宿線で神保町。学士会館のラタンでランチ。古本屋街を覗いてから秋葉原へ。さらに足を延ばして両国から隅田川クルージング。桜の季節や夜はさぞ眺めが良いだろうとは思われました。レインボウブリッジを潜ってお台場まで。はじめて経験した楽しい夢のような一時間でした。
 
2016-08-13 Sat 05:38
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青山櫻州・村岡筑水連作「祖国のために」「栄光の騎手」「空魔あさひ号」の戦争観・世界観
 長野嘗一「小説家・池田亀鑑」のうち、「日本少年」連載のSF未来小説の評を紹介します。「祖国のために」は大正13年(1924)21巻から20回の連載。以後、「栄光の旗手」のみ村岡筑水名義となりますが、このことは、すでに架蔵コレクションとして紹介済み。
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 「空魔あさひ号」は、宇宙戦艦ヤマトの先蹤とも言える、水陸空自在の巨大戦艦。池田亀鑑の戦争観・世界観・平和観も窺える作品となっています。とりわけ、結末のローマ法王に和平の仲介を依頼するのは、実際、10数年後、史実として、昭和天皇が、開戦後、勝ちに乗じているときにローマ法王を仲介とした終戦工作をすすめたことを予見していたことになります(原武志『昭和天皇実録を読む』岩波新書、2015年)。まさか、小説発表当時20代半ばの昭和天皇が、この小説に想を得て工作を指揮したとは思えませんが、当時の宗教思想、世界観に共通の磁場があったことは確かでしょう。あるいは、若い側近に読者がいて、進言したのかもしれません。
 時間はかかりますが、いずれ全編を蒐集、その一部なりとも復刻したいと考えています。以下、長野氏の批評。

 もう一つ、見のがすことのできない長篇を彼はこの年の五月から書き出した。五月といえば結婚した翌月である。一家を構えて出費多端のおりでもあり、岩下小葉の好意があずかってもいたのであろう。新婚の二人は、新枕の甘い夢にそういつまでもひたっているわけにはゆかなかった。とにかくかせがなければならぬのだ。さてその作品は、「祖国のために」と題されたもので、日本少年の初舞台に、「青山桜洲」という新しい筆名のもとに掲載された。これは黄色人種と白色人種との未来戦争を描いたもので、十二月号で前篇を終り、翌々年の大正十五年一月から十二月まで、『栄光の騎手』と題して後篇をつづり、さらに好評にこたえて翌四二年一月から十二月 まで、「空魔あさひ号」と三たび題を新たにし、続篇を書き足して完結した。三年がかりの大作である。おもしろいことに、「栄光の騎手」だけが「村岡筑水」の筆名に変っており、この篇だけは親友の村岡にたのみ、自分は背後から援助するに止め、続篇は又自分が書く旨、青山桜洲の名で断り書きがしてあるのだ。同一の筆者があまり長く書きつづけるという印象をあたえまいとする偽装にすぎないが、こんな偽装が堂々と行われていたとは、のんびりした時代の息吹を感ずるとともに、例のとう晦が早くも初まっている事実を、われわれはここにみるのである。さてこの小説の荒筋は、西紀二千年代の某月某日、黄色人種と白色人種との間に戦争がおこり、日本は黄色人種の旗頭として陸海空の三軍をあげて戦うが、衆寡敵せずして敗北し、東京は敵機の蹂りんにゆだね、祖国は累卵(るいらん)の危機に直面する。そのとき村上理学博士の発明にかかる「あさひ号」という空中軍艦が完成し、それが敵機を蹴散らして帝都の急を救い、勢いに乗じて欧米の空にまで遠征するが、互に決定的な打撃をあたえ得ず、ローマ法王の仲裁が入って世界の平和が回復する。―――というのである。ちなみに「あさひ号」の性能は、鋼鉄の戦艦を空中に浮かべたようなもので、操縦は電波により、海中へもぐれば大潜水艦と化するというもので、着想の奇抜、規模の宏大で少年読者を魅了した。むろん、こうした軍事小説は、今からみれば保守とも反動とも評し得よう。が、当時としては通俗受けしたもので、ことに主人公ともいうべき村上博士の戦争呪咀、平和への望み、博士の下にあって活躍する少年主人公山田勇の正義感、弱きものへの満腔の同情は、全篇を貫ぬくすがすがしい清流となっている。将来おこるべき戦争が、国家と国家とのそれではなく、植民地解放をめざす人種戦であり、勝敗の帰趨は科学と科学との競争にあることを予兆したあたり、かなりの達見であるといい得よう。しかし、意外の好評にこたえて書き継ぎ書き足していったせいか、類似の場面が重畳しているのは著しく眼につく欠点であり、軍事知識にもやや常規を逸する箇処がないでもない。たとえば我が連合艦隊が、大挙して来襲した某国太平大西両洋艦隊を房総沖にむかえ撃つ件りの如き、激戦数合、制空権を失った我が艦隊は、旗艦長門・戦艦陸奥以下、決死の勇をふるって敵艦列に突入し、舷々相摩した機を逸せず、将兵はピストルと日本刀をふるって敵艦におどり込む。―――などという場面は、よんでいて思わず噴飯する。いかに大正年間に書かれたものとはいえ、近代海戦に彼我の戦艦が舷をつらね、将兵が敵艦におどり込むなどということは、あり得ようはずがないではないか。ここは作者が元寇の海戦を思い出して書いたに相違なく、筆がすべって思わぬ失態を演じたものと解するより、適当な評言が見当らない。ただし、戦争終結にローマ法王の仲裁を持ち出して勝負なしに終らせたあたり、並々ならぬ奇想の天外より落つる妙趣があって。作者の空想力の非凡を証するものといい得よう。以後、このような愛国小説を書くときは、青山桜洲のぺンネームを用いるのが例となった。

2016-08-12 Fri 07:05
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