物語学の森 Blog版

このBlogは、私が物語研究の途上で出会った様々な発見や、物語をともに学ぶ人々との出逢いを綴ったものです。ごらんのみなさんにも物語文学の深遠なる森の如き世界の一端をお知りいただければ幸いです。

藤井貞和著『構造主義の彼方へ-源氏物語追跡』

 藤井さんの『構造主義の彼方へ-源氏物語追跡』拝受。重い課題を受け取りました。ありがとうございます。
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避難訓練、そしてうつほ物語

  『竹取物語』はいよいよ佳境。「燕の子安貝」は「燕の巣スープ」が原典だという自説を補強すべく、採取の映像を確認しました。


五時限目の終わりに避難訓練。訓練の参加を見送ったクラスもあったようですが、約100人が中庭に「避難」しました。


 その後、徒歩で國學院に移動して『うつほ物語』「國譲」下巻。諸本を校合しながら丁寧に読みました。
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安養尼・瓊子内親王覚書

 池田亀鑑の小説の素材探査の一環。デビュー作の主人公・後醍醐天皇の瓊子内親王に関する覚え書き。

『日本人名大辞典』
瓊子内親王(たまこないしんのう) 1316−1339
鎌倉-南北朝時代,後醍醐天皇の皇女。正和(しょうわ)5年生まれ。母は藤原為子(いし)。隠岐(おき)配流の天皇を追って同島にわたろうとしたがはたせず,伯耆(ほうき)(鳥取県)の守護佐々木氏にあずけられる。のち遊行中の僧一鎮について尼となり,同地に安養寺をたてた。暦応(りゃくおう)2=延元4年8月1日死去。24歳。法号は安養尼。

『日本人物文献目録』
 著作
菊の薫  三島吉太郎 明治36年
瓊子内親王 時山久蔵等 大正14年
 論文
瓊子内親王 三島吉太郎 文教 1巻5号 明治43年
勅撰集の女流歌人 瓊子内親王 溝江郁子 学苑 13巻6号  昭和26年

 これにくわえて、『故事類苑』宗教部・洋巻 四巻 
『伯耆誌』「会見郡」巻三  877-878頁

和歌文献
新千載 

 巻二
  硯のふたにちりたる花を入れて桜の扇に書きて瑒子内親王につかはしける 瓊子内親王
一六五 ひとりのみ ながむる宿に ちる花を 扇の風の つてにだにみよ
 返し、山吹のあふぎにかきて 瑒子内親王
一六六 吹きまよふ 扇の風の つてにこそ いはでかひある 色もみえけれ
 巻十三
 忍逢恋といふ事を 瓊子内親王
一三九八 世にもれん 後のうき名を 歎くこそ 逢ふ夜もたえぬ 思ひなりけれ
 巻十八
 世の中うつりかはりける比御ぐしおろしぬときこえければ瑒子内親王より、これやさはうつつなるらんうき事の夢かとすれどさめやらぬ世は、と侍りける返事に 瓊子内親王
二〇六二
二〇六一 歎きわび しひて夢かと たどれども さむるよなきは うつつなりけり
 
新続古今 
 巻一
 紅梅の枝につけて瑒子内親王につかはしける 瓊子内親王
七七 さそひゆく 風のつてにも とはれねば にほふかひなき 宿の梅がえ
 返し 瑒子内親王
七八 とはでこそ みるもかひあれ うき身をも よそにへだてぬ 梅の匂ひは

新葉 
 巻十八
 元弘のはじめつかた、世中みだりがはしく侍りしに、思ひわび、さまなどかへけるよしききて、瓊子内親王もとへ申しつかはしける 中務卿尊良親王
一二八七
一二八一 いかでなほ 我もうき世を そむきなん うらやましきは 墨染の袖
 返し 瓊子内親王
一二八八
一二八二 君は猶 そむきなはてそ とにかくに 定めなき世の 定めなければ

題林愚抄 
 巻十六
 新千 瓊子内親王
六七七一 世にもれん 後のうき名を なげくこそ あふよもたえぬ 思ひなりけれ
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ぼちぼち執筆再開。

 緊張の公開講座を終える。帰宅してのんびりした日曜日を過ごしました。書き差しの原稿二本再開します。
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漱石文学碑



 都内の高校のキャンパス内にあった漱石文学碑。荒川の桜は絶景の由。
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末摘花・近江の君の造型と発達臨床学

 自らも発達障害を公表している、精神科医にして福島学院大学大学院教授、副学長・星野仁彦氏の、市川拓司著「ぼくが発達障害だからできたこと 」の長文の解説には、首肯する事ばかりか、『源氏物語』のような古典の作家・登場人物の造型にも大きなヒントを得ることができます。長文となりますが、引用します。

 市川氏のこのような能力(注記・世界に読まれる恋愛小説を書く才能)は、西洋ルネサンス時代の美術家・彫刻家で万能人間と呼ばれたレオナルド・ダ・ヴィンチやミケランジェロと通じます。彼らも市川氏と同様にADHDを有していたことが多くの医学論文や著書で指摘されています。また、実際の実験は絶対不可能にもかかわらず、頭の中のイメージとひらめきだけで特殊相対性理論や一般性相対性理論を組み立てたアルバート・アインシュタインも市川氏と同様、ADHD、ADを有し、脳内AE(注記・拡張現実)や自家製ホログラム(注記・脳内想像映像記憶装置)の能力を持っていました。 ADHDやADで小説を書く人は少なからずいますが、その書くもののほとんどが、ジュール・ヴェルヌのようなSF小説、エドガー・アランポーやアガサ・クリスティーのような推理小説を、ウィンストン・チャーチルのような戦記物や自伝です。また小説よりも・脚本・作家・詩人・歴史家・評論家が多数です。AD者が恋愛物語を執筆することは極、稀であろうと思われます。 ただ、アーネスト・ヘミングウェイは典型的なADHDとされていますが、『武器よさらば』『誰がために鐘は鳴る』などの「恋愛小説」の趣を加えた戦争小説を執筆していてノーベル文学賞を獲得しているのが一部の例外でしょう。
 市川氏自身、自分の作品は宮沢賢治の『銀河鉄道の夜』とよく似ていると言いますが、私も全く同じ意見です。宇宙(星座)のこと、聖書の言葉、愛する者を失ったという「愛と死」というテーマ、幼少の頃の「郷愁(ノスタルジア)」を喚起させる表現、「共感覚」「サーダカウマリ能力(注記・沖縄のユタのように、生まれながらに霊能力が強いこと)」「臨死体験(死と再生)」などのイメージや象徴を多く用いる表現が星屑のように散りばめられています。私の古くからの知己で『『銀河鉄道の夜』と聖書』の著者の一人、富永國比古氏は「宮沢賢治はADHD、アスペルガー障害を有していた」と別の著書で記述しています。
 「恋愛小説を書くことは自己治療である」と市川氏は言われていますが、私も精神科医として的を得た表現だと思います。彼には彼なりの恋愛小説の作風があると思いますが、その原点には、亡き母親との幼児期からの母子共生的、母子密着的な愛情体験と、奥さんとの恋愛から結婚までの恋愛体験があるように思われます。 P254

 日本歴史上、戦国時代に「天下布武」を掲げて登場した織田信長はADHDとされています。非常に攻撃的で戦闘的な人でしたが、素晴らしいいくつもの「ひらめき」をもって封建制社会を覆した革命児でした。薩長連合や大政奉還などを実現させ、勝海舟に「あの男ひとりで幕府を倒した」と言わせたADHDだったとされる坂本龍馬も幕末には必要不可欠な人でした。またかくも発達した現代文明の基礎となった科学的な大発見をしたニュートンやアインシュタインはADであり、エジソンも細菌学者のパスツールもADHDでした。(略)
さらにモーツアルト、ベートーベンのような音楽家やピカソ、ダリのような発達障害のために日常生活で様々なハンディを背負いながらも、芸術史上著名な業績を残しています。 P260-261

 これらの障害は、かならずしも特殊なものではなく、境界も線引きも明確な規準は存在しません。つまり、私たち誰にもその要素を持ち合わせていると言うことになります。
 また、市川氏の想像(創造)した物語世界、「聖書の言葉、愛する者を失ったという「愛と死」というテーマ、幼少の頃の「郷愁(ノスタルジア)」を喚起させる表現、「共感覚」「サーダカウマリ能力」「臨死体験(死と再生)」などのイメージや象徴を多く用いる表現」は王朝の古典文学に通じる要素を持っています。聖書は仏典に置き換えられ、「愛と死」は『竹取物語』『源氏物語』に通じ、「郷愁」は光源氏の母性愛希求の物語に、「サーダカウマリ能力」は「物の気」、「臨死体験」は紫の上の二度の死を想起します。
 また、近江の君の多弁と多動、空気の読めない、一途な姫君・末摘花とその人物造型に関しても多くの示唆を得ることができます。


                            
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アスペルガー障害(Asperger Disorder/AD )と研究者の基礎理解

 昨日の続き。結構な勢いで、資料作成中。
 今日はアスペルガー障害(Asperger Disorder/AD )。「あの人は傷つきやすい」「冗談が通じない」。よく聞く言葉ですが、これらの基礎理解があれば、対応は違ってくるもの。直面したときには理解出来なかったことが下記の分類を適用すると理解できます。
 そう言えば、彗星のようにデビューして急接近してきたのに、人間関係が読めず、やたら女性たちにつきまとい、勝手に逆切れして去っていった上、ネット掲示板におかしなことを書き付けたりした迷惑掛けまくりの人が、ひとりふたりありました。とするとその人たちも、さらにはほとほと困りものの老ひ人も、<ひょっとして>」と思い当たることもあるように思われます。研究者もご多分に漏れず、世間相応13%、八人に一人は存在するはず。
 とはいうのものの、適職として紹介されているのは、作家、厳密な締め切りない、辞書編集者(例えば、三浦しをん著『舟を編む』の馬締光也(まじめ・みつや)君の如く)、さらには研究職などがあるもよう。要は、執着がよい方向に回転した場合、ということで、市川拓司さんも、指摘されて自分のことに気付くまで、かなりご苦労されたことが書かれていました。また成功した発達障害有名人より、社会に受け入れられず、自身の方向性が見つからない場合のほうが圧倒的であり、弊害も多いことを記しておく必要があります。

 なお、『舟を編む』の『竹取物語』引用(月の夜に現れ、「月の裏」を営む、かぐや姫のような妻・林香具矢と祖母・タケ)のことは、先の編著『竹取物語の新世界』に入れようとしてして準備していたものの、入れ忘れました。またいずれまとめます。

 ※以下は、この記事を引用しました。   
■コミュニケーションの問題
会話能力は表面上は問題なくできるが、その会話の裏側や行間を読むことが苦手。明確な言葉がないと言葉をそのままの意味で鵜呑みにしてしまう傾向があるため、人の言葉を勘違いしやすく、傷つきやすい面がある。他人と適度な距離感でコミュニケーションをとることが苦手。
■対人関係の障害
場の空気を読むことに困難さがあり、相手の気持ちを理解したり、それに寄り添った言動が苦手な傾向にある。そのため、社会的なルールやその場の雰囲気を平気で無視をしたような言動になりがちで、対人関係を上手に築くことが難しい。
■限定された物事への興味やこだわり
興味やこだわりが強く、いったん興味を持つと過剰といえるほど熱中し、すごい集中力や記憶力を発揮する。法則性や規則性のあるものを好み、異常なほどのこだわりを見せることがある。その法則や規則が崩れることを極端に嫌う傾向がある。一方、この特性は逆に強みとして、高度な研究職等の仕事に活かすことも可能。
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市川拓司『ぼくが発達障害だからできたこと』

 公開講座のため、市川拓司著『ぼくが発達障害だからできたこと』 朝日新書  2016年6月を読了。

 著者はボクと同年。まだ発達障害の理解がなかった時代に学齢期を送った著者は、さぞ心労・ストレスも多かったはず。
 
「手のつけられない多動児で、毎日のように高いところが飛び降りる動作を繰り返した。社会人になっても問題行動ばかり起こし、周囲からは「間違っている」と言われ続けた」

 自分の障害を理解した時、作家として「生きる場所」が見つかった、と言うことでしょう。本書でも重要な位置を占める「解説」もありがたい。今朝のNHK「あさイチ」の栗原類さんも「発達障害」を公表した反響から再登場のようです。

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蛍の平安朝

夏は夜。
月のころはさらなり、闇もなほ、ほたるの多く飛びちがひたる。
また、ただ一つ二つなど、ほのかにうち光りて行くもをかし。
雨など降るもをかし。    『枕草子』

 はやいもので今日は夏至。地元のみなさんも「蛍」を育て愛でるイベントを行っていることを知りました。野田市の古典講座で紹介します。

 蛍を薄きかたに、この夕つ方いと多く包みおきて、光をつつみ隠したまへりけるを、さりげなく、とかくひきつくろふやうにて。
 にはかにかく掲焉に光れるに、あさましくて、扇をさし隠したまへるかたはら目、いとをかしげなり。 『源氏物語』「蛍」巻
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質問を指名すること

 土曜日の研究会では、若手の発言が少ないとして、テーマ委員の司会者が質問を若い人に指名していました。かつての学会では質問のご指名が決まり事で、かならずその道の大家が指名を待って、質問なさっておいてでした。司会者は失礼のないように気を遣ったものでした。ところが、これでは若い人が萎縮して質問せず、結局大家の御意見を拝聴する定型が出来あがっていたことになります。もちろん、この発表内容が、専門の大家にどのように評価されるのか、これは最も重要な聞きどころではありました。
 ご指名がなくなったのは、90年代・平成初頭の中古文学会。塚原鉄雄先生の提案だったように思います。塚原先生は代表委員在任中に亡くなったのですが、いまだにこれは踏襲されているように思います。ただ、すでにそれから25年。組織活性化のためには、若手発言の確保のご指名もまた有効かと思ってはいます。今、学会は若手研究者育成の会か、否かが論争になっている由、先日の学会委員会で否定派の先生の持論を承ったところでした。土曜日の研究会は「若き研究者の集団」ながらちっとも若くない人ばかり発言している、これは自己矛盾ではある。さあ、この自我撞着をどう解消するか。この問題は若手にお任せすることとしましょう。
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